【勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(307)】指揮権放棄 フロントへの「最後通告」 - 産経ニュース

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勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(307)

指揮権放棄 フロントへの「最後通告」

無気力なプレーが目立ったバンプ(左)に上田監督(右)の怒りが爆発した
無気力なプレーが目立ったバンプ(左)に上田監督(右)の怒りが爆発した

優勝するチームには必ずペナントレースの中で〝勝利への分岐点〟がある。

昭和59年5月10日、後楽園球場での日本ハム8回戦で突然、ベンチから上田監督の姿が消えた。表向きの理由は「胃炎」による体調不良。だが、実際は指示に従わないバンプの処遇をめぐり球団フロントと対立。球団への抗議を示す指揮権放棄だった。

事件は前夜(9日)の日本ハム7回戦の八回に起こった。1死走者なしで打席のバンプのボールカウントが0―2(2ボール)となったところで、ベンチは「待て」のサインを出した。ところが、バンプはこれを無視。ボール気味の3球目を打って二ゴロに終わった。

「待てのサインが見えないのか!」「アメリカでは0―2から待ったりはしない」。ベンチで上田監督とバンプとが激しく口論。試合後、上田監督は岡田球団社長や矢形常務へバンプへの厳しい処分(罰金、2軍降格)を迫った。だが、球団は処分に踏み切れない。球団にも事情はあった。まだ、4年契約の2年目。4億円もかけて獲得した選手を早々2軍に落とすわけにもいかなかった。

「バンプを取るか、わたしをとるか」。上田監督は球団へ〝最後通告〟を突き付けた。それがこの「指揮権放棄」騒動となったのである。

実はバンプの怠慢プレーや練習態度の悪さは入団当初からみられた。それは当時の助っ人たちがみんな持っている日本のプロ野球への蔑視でもあった。この年のキャンプでも、指示に従わずに練習を切り上げて宿舎に帰ったバンプに上田監督は「あんな選手は使わん!」と球団に解雇を迫っていた。

山口オーナー代行が監督とフロントとの仲裁に入り、バンプに罰金を科し、厳しく注意することで騒動は落着。翌11日の南海戦(西宮)から上田監督はまた采配を振るった。

「バンプがね、試合前のミーティングが終わったあと、みんなの前で涙をうかべながら『悪かった』と帽子をとって頭を下げたんだよ。みんな驚いたよ」

この騒動を機に勇者の結束は強くなった。11日の南海戦を山田の完投で勝利すると、6月10日のロッテ戦までの23試合を13連勝を含む19勝3敗1分け。〝混パ〟から抜け出し一気に独走態勢に入ったのである。 (敬称略)