30年以上もの間、不発弾処理に携わってきた。以前勤務していたのは八戸駐屯地(青森)だったが、「不発弾処理の技術をもっと究めたい」と処理の機会も多い朝霞駐屯地(東京、埼玉)への異動を強く希望し平成14年に配属された。
所属する「第102不発弾処理隊」は、関東地方と新潟・山梨・長野・静岡の4県を含む1都10県で唯一の不発弾の専門部隊だ。硫黄島や父島、母島などのかつての戦地も抱え、多くの処理に立ち会ってきた。その経験から「単に処理するだけでなく、その中で最も安全でいい方法を選択し、自治体などのニーズに応えられるよう、普段からの訓練が必要」と指摘する。
15年ほど前、神奈川県内で「構造上、動かすと危ない不発弾」が発見された。だが、民家に近く、その場では処理できなかった。約10キロの重さがあったこの不発弾をスポンジを詰めたバッグに入れ、バッグのベルトを首にかけ、抱きかかえるように200~300メートルを歩いて運んだ。「恐怖を覚えた」と述懐する。
そんな父の姿を追い、一人息子の長男(22)も自衛隊に入隊し、将来は不発弾処理隊での勤務を希望している。息子と年齢の近い後進の指導にも当たり、「現場にはできるだけ経験のないメンバーを連れていき、経験させたい。小さなものでも知識や技術を将来にわたって伝える立場になれれば」と願う。来年10月に定年を迎えるが、国民を守る思いは熱を保ったままだ。
(兼松康、写真も)
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