【話の肖像画】台北駐日経済文化代表処代表・謝長廷(75)(7)感無量だった母校、京大での講演 - 産経ニュース

メインコンテンツ

話の肖像画

台北駐日経済文化代表処代表・謝長廷(75)(7)感無量だった母校、京大での講演

2007年12月、母校の京都大学で講演した謝長廷氏(台北駐日経済文化代表処提供)
2007年12月、母校の京都大学で講演した謝長廷氏(台北駐日経済文化代表処提供)
李登輝元総統は2004年暮れの訪日時、母校の京都大訪問を拒まれたことがある


李登輝元総統は04年から05年にかけての年末年始、ご家族との旅行で金沢や名古屋、京都などを回りました。京都ではしんしんと雪が降り積もる中、母校の正門前まで行ったのですが、キャンパスに立ち入ることは許されなかった。警備の問題とされましたが、政治的配慮があったのでしょう。そのときの李元総統の寂しい思い、むなしさを想像すると胸が痛みます。私は行政院長(首相に相当)を退任した後の07年12月、京都大への入構を許され講演しました。李元総統の京都帝大時代の恩師、柏祐賢(かしわ・すけかた)先生のご子息で京大教授だった柏久(ひさし)先生の紹介でした。

一方、04年の大みそかに李元総統は奥さまの曽文恵さんやご家族とともに、当時まだご存命だった祐賢先生と久先生の京都の自宅にうかがい、61年ぶりに師弟関係を温められたのは幸いでした。写真をみると、2人とも満面の笑みでしたね。京都帝大生の李登輝青年の姿をみたように感じます。そのときの気持ちが私にはよくわかります。


李元総統が果たせなかった京都大での講演だったが


李元総統の代わりに、母校で講演ができたことに感無量でした。日本留学で受けた影響について、「民主主義には犠牲が必要で、自由は天から与えられるものではないことを学んだ」と話しました。台湾が歩んだ民主化の困難もまさに、その通りでした。私はこのとき、留学中に結婚した家内の游芳枝と恩師の田中成明(しげあき)先生のお宅を訪れました。そして大学院時代を過ごした宿舎、暁学荘に行き、当時の管理人さんの家族とも再会しました。懐かしかったですね。


昨年7月に李元総統が逝去され、台湾には日米などから要人が弔問に駆け付けた


日米台が現在のように連携するようになった契機は、このときだったかもしれませんね。

昨年8月、日本から森喜朗元首相、米国からは現職閣僚だったアレックス・アザー厚生長官(当時)が台北を訪れました。9月の告別式に森元首相、米国務省ナンバー3のキース・クラック次官(経済成長・エネルギー・環境担当、当時)が参列し、安倍晋三前首相は心のこもったビデオメッセージを寄せました。弔問で台北を訪れた日米の方々は、いずれも蔡英文総統に会い、李元総統を偲(しの)ぶとともに台湾との今後の関係についても非公式に話し合いました。

一連の動きが台湾の〝弔問外交〟といえるかどうかは分かりません。ただ現在は、国際情勢が大きく変化しているタイミングです。李元総統は亡くなった後もずっと、台湾を保護し続けてくれているのではないかと感じるときがあるのです。台湾を取り巻く国際環境は、1年で劇的に変わりましたから。


7月の産経新聞とのインタビューで、安倍前首相は李元総統の墓参りのため台湾への訪問を望んでいると明かした


台湾に友好的な安倍前首相の人気は高く、大歓迎です。安倍前首相のご母堂や実弟の岸信夫防衛相とも、台湾は親しい関係ですから。李元総統の墓参のみならず、台北の立法院(国会)で安倍前首相に演説していただくことも可能でしょう。実現を願っています。

こうした日台間の深い信頼関係は、幅広い方々から尊敬を集めた李元総統の遺産といえるでしょうね。台湾と日本の友好レベルが一段と高くなってきました。さらにこの信頼関係を深めていく段階にあります。この連携が日台のみならず、アジアや世界全体にも広がっていくことがプラスになります。それが人類が追求すべき在り方だと考えています。(聞き手 河崎真澄)