コロナ禍に強み生かせず 官房長官番記者がみた菅義偉氏 - 産経ニュース

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コロナ禍に強み生かせず 官房長官番記者がみた菅義偉氏

官房長官として新元号を発表する菅義偉氏。「令和おじさん」と呼ばれるように=平成31年4月1日、首相官邸(古厩正樹撮影)
官房長官として新元号を発表する菅義偉氏。「令和おじさん」と呼ばれるように=平成31年4月1日、首相官邸(古厩正樹撮影)

平成30年9月から令和元年8月までの約1年間、官房長官番記者として菅義偉氏を取材した。

菅氏は、自身と同じ無派閥の議員を中心に党内での支持基盤を拡大し、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。当時の安倍晋三首相が菅氏を警戒しているという臆測すら飛び出したほどだ。無派閥議員らによる「菅グループ」の一人は周囲に「来るべき時は全力でお支えする」と語り、「菅首相」誕生を信じて疑わなかった。

果たして菅氏は首相の座に就いた。自慢の政策実現力をいかんなく発揮し、携帯電話料金の値下げ、不妊治療の保険適用、デジタル庁創設などを次々と実現した。「国民のために働く内閣」という目標は果たしたと評価していい。

しかし、新型コロナウイルスの感染拡大という「有事」の宰相としては、国民や関係者を鼓舞する力に欠けたことは否めない。

政権のコロナ対応への国民の不満は積もりに積もり、党内では「菅首相では衆院選を戦えない」との声が強まった。その求心力は急速に衰え、携帯料金値下げなどの「功績」もかすんでしまった。菅氏は「これ以上あがいても仕方ない」と感じたのだろう。

菅氏の最大の強みは会合を重ねて多くの人と会い、現場の問題意識を肌感覚で理解しようとする姿勢だ。

しかし、感染拡大でその機会は制限された。そして不特定多数の国民に向けた「発信力」の欠落にばかり批判が向き、国民は離れていった。さぞ忸怩(じくじ)たる思いだったことだろう。

首相として激務に当たった1年間、ひとまずその労をねぎらいたい。(中村智隆)