【勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(304)】玉三郎の決断 24歳、故障に苦しみ引退 - 産経ニュース

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勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(304)

玉三郎の決断 24歳、故障に苦しみ引退

がっくりする阪急・三浦広之投手
がっくりする阪急・三浦広之投手

時間を少しだけ戻そう。広岡監督が日本シリーズ第5戦のあと、ナインたちへの〝洗脳作戦〟を展開した11月4日、大阪では「球界の玉三郎」こと三浦広之投手(当時24歳)が引退した。

正午過ぎ梅田の球団事務所を訪れた三浦は岡田球団社長に引退の決意を告げた。岡田社長は「まだ若いんだから、やはりもう一度やり直しては…。球団は待っててあげるから」と翻意を促したが三浦の決心は変わらなかった。

「去年のオフに1度、引退を考えました。あのときは肩の痛みもなくなっていたし〝もう一度やってみよう〟と…。でもダメでした。いい時の投球フォームが取り戻せなかった」

三浦広之、昭和34年6月5日、福島県出身。52年のドラフト2位で福島商から阪急入団。1年目の53年に4勝。54年には7勝。先発ローテーションに入った。だが、55年に右肩を痛め、その後3年間は一度も公式戦で登板することができなかった。

福本豊は当時の三浦をこう振り返った。

「男前でなぁ、優しそうな顔でほんまに〝玉三郎〟やった。ええタマを投げとったよ。けど、まだ子供の体。ほんまやったら2軍でじっくり鍛えてからなんやろうけど、あの人気は当時の阪急には魅力やった。〝1軍で投げさせろ〟となった。監督も〝ええで、ええで〟のウエさんやしな、ついつい登板過多に…。当時は今と違って、少々、肩の具合がおかしくても〝痛いです〟なんて言えん。かわいそうなことしたよ」

三浦は阪急入団の際、進学が内定していた明大との間で悩んだ。

「プロへ入るのは4年先でも遅くはない。大学でしっかり体を作り、人生の基礎を固めなさい」という明大の島岡監督の言葉に何度も心は揺れた。だが、三浦はプロ入りを選んだ。プロ6年といっても実働は3年。

「でも、精いっぱいやったし、悔いはありません」

三浦はプロゴルファーの道を目指した。翌60年から兵庫・大宝塚ゴルフクラブの研究生として研修に励み、平成7年にPGA認定のティーチングプロとなった。現在は新大阪の「サラゴルフスクール」でコーチを務めている。(敬称略)