現職総裁の不出馬、過去にも - 産経ニュース

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現職総裁の不出馬、過去にも

デジタル社会推進会議の初会合で発言する菅義偉首相=6日午後、首相官邸(春名中撮影)
デジタル社会推進会議の初会合で発言する菅義偉首相=6日午後、首相官邸(春名中撮影)

菅義偉(すが・よしひで)首相(自民党総裁)は新型コロナウイルス対策への批判などから内閣支持率の下落が続き、衆院選を前に党内で急速に求心力を失った結果、総裁選の不出馬に追い込まれた。現職総裁が総裁選の告示直前に出馬を断念した事例は過去にもある。

海部俊樹首相は平成3年、衆院への小選挙区比例代表並立制導入を柱とした政治改革関連法案が党内の強い反発で廃案が確定し、「重大な決意」で政局に臨む考えを表明。結果的に「衆院解散か総辞職か」の二者択一を迫られたが、後ろ盾となっていた最大派閥の旧竹下派が衆院解散を認めず、総裁選への不出馬に追い込まれた。

鈴木善幸首相は昭和57年の総裁選で再選が見込まれたが、直前に退陣を表明。党内抗争の激化を回避したかったためといわれている。

自民党が野党時代に総裁を務めた河野洋平、谷垣禎一両氏も不出馬に追い込まれ、首相にならないまま政界を引退した。

自社さ政権で副総理兼外相だった河野氏は平成7年の総裁選への出馬を断念した。橋本龍太郎氏の優勢が伝えられ、敗北は避けられないと判断した。

谷垣氏は民主党政権だった24年の総裁選で再選を期したが、自ら幹事長に起用した石原伸晃氏が立候補の意向を固めたことなどを踏まえ、出馬を断念した。この総裁選で安倍晋三氏が返り咲き、同年の衆院選で政権を奪還した。石原氏は「平成の明智光秀」と揶揄された。

現職首相が総裁選で敗れた事例もある。福田赳夫首相は昭和53年の総裁予備選挙で大平正芳氏に敗れ、上位1、2位による本選への出馬を辞退した。「天の声にもたまには変な声がある」という名言を残した。(峯匡孝)