【紀伊半島豪雨10年】妻と長女亡くした元町長 つらい経験を教訓に 和歌山・那智勝浦(1/2ページ) - 産経ニュース

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紀伊半島豪雨10年

妻と長女亡くした元町長 つらい経験を教訓に 和歌山・那智勝浦

災害の経験が「教訓になれば」と話す寺本真一さん=和歌山県那智勝浦町
災害の経験が「教訓になれば」と話す寺本真一さん=和歌山県那智勝浦町

平成23年の紀伊半島豪雨から9月で10年。28人が死亡、1人が行方不明になった和歌山県那智勝浦町で当時、町長として災害対応にあたった寺本真一さん(68)もあの豪雨で妻と長女を亡くした。町役場で指揮をとっていたため、妻からの電話に「逃げろ」と言えなかったことを今も悔やむ。つらい記憶だが、日本各地で自然災害が相次ぐなか、自身の経験が「教訓になってほしい」と願う。

10年前の9月3日。台風12号による大雨で、町内を流れる那智川が氾濫注意水位を超え、午後6時、町役場に災害対策本部が設置された。

町長として役場に詰め、状況把握に集中していた寺本さんの携帯電話が鳴ったのは翌4日午前2時ごろだった。妻の昌子さん=当時(51)=からで、長女の早希さん=同(24)=が「流された」という内容だった。「すぐ電話するから」と言って切ったが、それが最後の電話になった。その後、妻に何度も電話したが通じず、近所に電話しても不通だった。

あとになって、この日午前2時半ごろ、那智川の支流で土石流が発生し、那智川にも大量の土砂や流木が流入。那智山のふもとに広がる市野々(いちのの)地区と井関(いせき)地区での被害が甚大だったことがわかる。寺本さんの自宅はその市野々地区にあった。

■捜したいが動けない

4日朝、早希さんが遺体で見つかったと連絡があったが、土砂や流木に道を阻まれ、たどりつけなかった。一方で、その後も役場で、町長として災害対応にあたらなければならなかった。

「現場で家族を捜したかったが、動けない。廊下から那智山を見て考え事をしていた」と当時の苦しい胸の内を回想する。

自宅近くの寺に安置されていた早希さんの遺体と面会できたのはその日の夜になってからだった。自宅は跡形もなくなっていた。それから約1週間後、昌子さんの遺体が海岸に打ち上げられたことを警察官から知らされた。2人の葬儀はほかの犠牲者の葬儀が終わった後の10月初旬に営まれた。