紀伊半島豪雨 母亡くした消防団元分団長の誓い(1/2ページ) - 産経ニュース

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紀伊半島豪雨 母亡くした消防団元分団長の誓い

紀伊半島豪雨時の状況について話す市原光留さん。今も消防団の活動を続けている =奈良県十津川村
紀伊半島豪雨時の状況について話す市原光留さん。今も消防団の活動を続けている =奈良県十津川村

紀伊半島豪雨で7人が亡くなり、6人が行方不明となった奈良県十津川村。当時、地元消防団の分団長として同村長殿(ながとの)地区で陣頭指揮をとった市原光留(みつる)さん(70)は、濁流にのまれた母の遺体が見つかるまでの1カ月半、気丈に活動を続けた。大丈夫だと思った場所での被災。想定外の豪雨のすさまじさは今も忘れられず、安全への過信はしないと肝に銘じている。

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「橋に土砂がたまってきている」。台風12号の影響で雨が降り続いていた平成23年9月3日午前。市原さんは自宅付近の橋の異変に気づき、避難を決めた。子供は独立し、母の竹尾さん=当時(90)=と2人暮らし。足が不自由だった竹尾さんを車に乗せ、普段から交流のあった知人宅に預けた。

その後、自身は地域の見回りに向かい、公民館に避難。これまで台風で川の水位が上がっても、村を流れる熊野川から約30メートル高台にある知人宅まで被害が及ぶことはなく、大丈夫だと思っていた。

しかし、豪雨の勢いは想像を超え、知人宅は土砂崩れによる川の氾濫で濁流に巻き込まれた。付近にあった関西電力長殿発電所も水にのまれ、跡形もなく消えていた。