【モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら】(109)カミュの『戒厳令』が示す全体主義への嫌悪 - 産経ニュース

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モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら

(109)カミュの『戒厳令』が示す全体主義への嫌悪

カミュの戯曲「戒厳令」の舞台になったスペインのカディス(桑原聡撮影)
カミュの戯曲「戒厳令」の舞台になったスペインのカディス(桑原聡撮影)

仏文学者、中条省平さんの『カミュ伝』(集英社インターナショナル)に導かれてカミュの戯曲「戒厳令」(大久保輝臣訳)を読んだ。長編小説『ペスト』で成功を収めたカミュが、映画「天井桟敷の人々」(マルセル・カルネ監督)で主役を演じたジャン=ルイ・バローの依頼を受けて書いた作品だ。初演は1948年10月27日、パリのマリニー劇場。演出はバロー、音楽は「フランス6人組」のひとりであるアルチュール・オネゲル、舞台装置と衣装はバルテュスが担当した。なんとも贅沢(ぜいたく)な布陣である。

舞台はスペイン南西部、大西洋に面したカディス。紀元前10世紀頃フェニキア人が築いた拠点がその起源となった港湾都市だ。ドラマの時代は明確にされていない。ただ、冒頭のト書きに《警報のサイレンを思わせるようなけたたましいテーマの序曲》とあるので、初演時の観客は間違いなく第二次世界大戦を想起したはずだ。

午前4時前、カディスの上空に彗星(すいせい)が現れる。《この世の終わりだ!》《こいつは戦争の前ぶれだぜ!》《呪いがかかったんだよ、この町に!》と人々は恐れおののく。

夜が明けると、町はいつも通りに活気づくが、群衆の中でひとりの男が倒れてしまう。2人の医者が駆け付けて男の体を診察する。ペストだった。凶報はたちまち町中に広まる。司祭は《祈るがいい。さあ、教会にはいるのだ》と呼びかけ、星占い師は《旱魃(かんばつ)と飢饉(ききん)とペストを示しとる卦(け)だて!》と叫ぶ。風を感じた魔法使いの女は《ペストは風を嫌うものだ。見ていてごらん、万事きっとよくなるから!》と声を上げる。すると風はやみ、2人の男がドサリと倒れる。ペストはあっという間に町をのみ込んでしまう。

町を統治する総督府は、いっさいの集会を禁止し、娯楽機関を閉鎖する命令を発出する。他に打つ手のない総督府は、動揺する市民を落ち着かせるために《全医師団の見解によれば、海上からの風さえ吹けば、ペストは衰退に向かうはずとのこと》と根拠のない楽観情報を流す…。

ここまで読んで、コロナ禍で苦しむいまの日本の姿が重なり、ため息が漏れてしまった。だがこれはほんの序章にすぎない。

沈黙と秩序と絶対的な正義

ペストが猛威を振るうなか、ひとりの男がメモ帳を手にした女性秘書を従えて総督府に乗り込んでくる。男はペストと名乗り、総督の地位を自分に譲るよう要求する。総督が拒むと、秘書はこれみよがしにメモ帳に書かれたリストに線を引く。すると唐突に衛兵のひとりが倒れる。そう、このメモ帳は「デスノート」とでもいうべきもの。線を引かれた人間は死ぬ。

恐れおののいた総督は、自分たちの生命の保障と引き換えに、その地位を譲ることにする。ペストは「これはあくまでも自由な取り決めによるもの」と言い含める。総督府の役人たちを取り込んだうえでペストは「合法的」に命令を発出する。命令の趣旨説明は次の通り。

《本命令は、われわれの敬愛する主権者の意志の完全な服従のもとに公布される政令にかわる効力を有し、病毒に感染した市民の統制と救護活動を規定し、それに関するすべての規則、ならびに監視員、管理人、執行人、墓掘人等、与えられた命令を厳密に実施することを誓約するすべての人員を指示するものである》

意味がすっと頭に入るだろうか。とても無理だと思う。役人のひとりが疑問を呈すると、秘書はこう説明する。

《こうやって、すこしずつ曖昧さに慣れさせるわけ。わからなければわからないほど、みんなよく言うことを聞きます》

趣旨説明に続いて5つの命令が発出される。①感染者の出た家屋には星印を付ける②食料や生活必需品は当局が管理し、新体制に従順な市民にのみ公平に分配する③午後9時に消灯する。通行証を持たぬ者は公共の場所や道路には立ち入れない④感染者をみだりに看護することを禁止する。感染者が発生した場合はただちに当局に通報し、救護処置はすべて当局が当たる⑤会話による空気感染を防止するため市民は酢を浸した綿を常に口に含む-。

こんな命令を、現実にあり得るかもしれないと感じてしまう、いやそんなものではない、抵抗することなく受け入れ、これに従わない者に対して攻撃的になってしまう可能性がいまの私たちにないだろうか。

命令を発出したうえでペストはこう言い渡す。《諸君はすでに戒厳令下に置かれているのだ》《今日以後、諸君は秩序正しく死ぬことを学ぶのだ》《わたしは諸君に、沈黙と秩序と絶対的な正義をもたらす》

3部構成の第1部はこうして幕を下ろす。このドラマが2部、3部でどんな展開を見せるかは、実際に戯曲を読んで確かめていただきたい。折しも東京・六本木の劇団俳優座5階稽古場で「戒厳令」(眞鍋卓嗣(まなべたかし)演出)の上演が始まった。舞台芸術に興味のある方はこちらを選ぶのもよいかもしれない。

正義はなくて限界があるだけ

対独レジスタンス運動に身を投じたカミュのこの作品の根底に、個や多様性を徹底的に踏みにじる全体主義への嫌悪があるのは間違いない。「大切なのは個であり多様性だ」と普段から口にしている人間も、危機にひんすれば、頼りになりそうな大きな傘の下に逃げ込もうとするものだ。そうした人間の弱さと醜さ、そして人間社会のもろさをカミュはペスト禍を通して描き出しているように思う。

菅義偉(すがよしひで)首相は8月25日の記者会見でコロナ禍について「明かりははっきりと見え始めています」と語ったが、難儀な闘いはまだまだ続きそうだ。気がかりなのは、長引くコロナ禍と不況によって、私たちの中に全体主義的政策も致し方なしという諦めにも似た気持ちが巣くい始めてはいないかということだ。いま個々人にできるのは、感染対策を怠らないこと、そして自分自身と社会が全体主義に傾斜していないかを意識すること、具体的にいえば「正義」に酔っていないか、足並みを乱す者に対して攻撃的になっていないかを自問自答することだ。「戒厳令」の最後に出てくる言葉がとても意味深長だ。

《正義はなくて、限界があるだけだ。そして、規則ではなにもしばらぬという連中も、すべてに規則を押しつけようとする連中も、どっちも同じように、限界を踏みこえているのだ》