【朝晴れエッセー】母の生涯一番の思い出は?・9月3日 - 産経ニュース

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朝晴れエッセー

母の生涯一番の思い出は?・9月3日

通夜式の前に遺影を眺めた。

母が選んでおいた写真だが、あらためて見るとずいぶん若い。パワーが満ちあふれていた60代半ばの母だ。

一人っ子の私。結婚して独立したのが30年前。翌年に長男が誕生、東京へ転勤。やがて次男も誕生。それから何年か後だ。あの忘れがたい出来事があったのは-。

夜遅くインターホンが鳴った。妻が出たら、母だった。実家は名古屋の郊外、ここは東京の練馬。事前の連絡はなかった。

私が玄関のドアを開けると、なぜか驚く母。驚きたいのは私の方だが、まあ中へ。

母いわく、きょう電話したら「現在、使われておりません」で、会社に確認したところ「お休みです」。これは一大事だ!

きっと私が病院に運ばれ、妻が付ききりで、だから電話を止めたに違いない。2人の子を連れてか、家に残してか。

とにかく助けに向かわねばだが、さあ長丁場になるぞと覚悟を決め、すぐさま風呂場で髪を染め、かかりつけ医で血圧の薬を多めに頼み、荷物をまとめ、あとを父に託して、夕方の新幹線に乗ったのだと…。

ああ、間が悪いとはこのことだ。

その日、電話回線の切り替え工事で一時プラグが抜けていた。そして私は、腰痛で会社を休んでいた。携帯電話はまだ持っていなかった-。あれから20年余り。

87歳の誕生日を迎えるはずだった初七日に、遺影を眺めて思う。母の生涯で、一番の思い出は何だろうと。

一番はやはり、その後6人そろってのハワイ旅行だよな。

帰国後の別れ際。バイバイは嫌だと泣く次男につられ、母は大泣きしていた。


渡辺真朗 62 名古屋市昭和区