紀伊半島豪雨10年

住み続ける(上)独自の2拠点居住 誰も取り残さないために

談笑する「高森のいえ」の住人ら。大谷憲次さん(左から2人目)は「自然に声をかけ合い、見守る態勢ができている」と話す=奈良県十津川村
談笑する「高森のいえ」の住人ら。大谷憲次さん(左から2人目)は「自然に声をかけ合い、見守る態勢ができている」と話す=奈良県十津川村



「雨のたびに家の近くが崩れないか不安だった。今は安心して暮らせる」

奈良県十津川村の高森地区。村営の集合住宅「高森のいえ」に夫婦で入居する大谷憲次さん(72)はこう話す。


東京23区より広く、9割が森林に覆われる同村では、平成23年9月の紀伊半島豪雨で道路の寸断や土砂崩落などで孤立する集落が相次いだ。大谷さんが暮らす今西地区も土砂崩れで孤立した集落の一つだ。

住み続ける(下)「水に浸る」土地 それでも離れない

紀伊半島豪雨10年 奈良・五條市で追悼式

災害時に孤立する集落を少しでもなくそうと村が提案したのが、普段は自宅に住み、台風前や梅雨時期に比較的安全な地域に暮らす「2拠点居住」だ。全国的にも珍しく、他の自治体からの視察も相次いだ。29年3月、国道近くの高森地区に誕生した「高森のいえ」に続いて、今年4月には西川地区でも廃校となった村立中学の寮だった建物を住宅に改修、災害時に不安がある村民に入居を呼び掛けている。

この緩やかな「村内移住」では「『最期まで村に住み続けたい』と願う高齢者の希望もかなえることができる」と村の担当者。実際、「高森のいえ」では大谷さん夫婦ら高齢の6世帯8人(72~96歳)に子育て世代の一家族4人を加えた12人が暮らす。

各住宅は平屋建てで屋根付きの渡り廊下でつながる。家庭菜園やお茶会を通じ、顔がみえる交流を行い、災害時には声を掛け合い支え合っている。

現在も今西地区に自宅がある大谷さんだが、「安全性を考えると、年々『高森のいえ』で暮らす期間が長くなっている」と言う。

空振りは覚悟の上で

十津川村のような緩やかな村内移住は、土地確保の問題や移住する集落の規模もあり容易にはできない。このため、多くの自治体では高齢者や要支援者が取り残されずに避難できる、地域実情に合わせた体制づくりが必要となる。

17年9月に奈良県五條市と合併した同市大塔(おおとう)町(旧大塔村)。紀伊半島豪雨後に子育て世代が土地を離れたことが影響し、人口はほぼ半減、今では高齢化率も6割を超える。

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