本郷和人の日本史ナナメ読み

古文書、研究と収集㊤ガンプラ転売に思う「倫理」

さて、それで、この本が世に出て何が起きたか。もちろん、こんな本が売れるわけはありません。報道機関を集めて記者会見、なんて発想のないころでしたから、マスコミも注目してはくれなかった。研究会メンバーには「勉強になった」以外のメリットはなかったのです。まあ、史料集なんてそんなものかもしれません。

ところが、影響は妙なところに表れた。古書店が取り扱う長福寺文書の値段が、大幅に値上がりしたのです。え、今までより0(ゼロ)ひとつ多くない…? まあでもそうか、今までは内容も由緒も何が何だか分からない、古文書だった。けれど、今やこの本を見れば、文書の内容や背景を、びしっと説明ができる。ならば価格を上げようじゃないか、ということなのでしょう。私たちの奮闘努力は、古書店さんをもうけさせる結果となったのです。

このことを経験したとき、世間知らずだったぼくは思いました。そうか、中身がよく分かっていない古文書を買ってきて、文意を解釈して、故事来歴を明らかにする。その結果をリポートにまとめて古書店に持ち込めば、はるかに高く買い取ってくれるのではないか。お小遣いにはなるな。

ところが、そんな小銭稼ぎを思いついたぼくの脳裏に、史料編纂所の先輩方の教訓がよみがえってきました。「少なくとも史料編纂所員でいるあいだは、プライベートでの古文書の売買に携わってはならない」

古文書の所蔵者になると、コレクターの業として、あれもこれも欲しくなる。史料編纂所の書庫には古文書の本物がたくさんある。そうすると、誘惑に負けて1枚、2枚と道を踏み外さぬともかぎらない。だったらはじめから、古文書を所有しないことだ。ぼくは戒めをそういうふうに解釈していました。

うん、確かにそれもあるかもしれない。でも、先輩方はもう一点、クギを刺してくれたのではないでしょうか。それはいまの言葉でいうと、転売ヤーにはなるな、ということ。古文書はあくまで研究の対象である。それを金銭の脈絡で捉えるなど、もってのほかである。

転売は合法だ、と説明される経済学者は少なくないそうです。転売ヤーの存在は、否定することはできないのだ、と。確かに合法なのかもしれないけれど、理解も愛もない人たちが、転売目的にガンプラを買いあさるのは、ぼくはいやですね、やっぱり。それと同様に、史料編纂所の先輩方は、古文書についての倫理というものを教えてくれたのだと受け止めています。ですから、お菓子のおまけから万年筆に至るまで、種々の収集癖のあるぼくですが、古文書のコレクションは一切やっておりません。(次週に続く)