鑑賞眼

ケムリ研究室「砂の女」 五感で味わう不条理劇 

昆虫採集に出た男(仲村トオル)は、女(緒川たまき)の住む砂穴の家に閉じ込められる(引地信彦撮影)
昆虫採集に出た男(仲村トオル)は、女(緒川たまき)の住む砂穴の家に閉じ込められる(引地信彦撮影)

ケラリーノ・サンドロヴィッチと緒川たまきによるユニット「ケムリ研究室」による2回目の公演は、前作「ベイジルタウンの女神」とうってかわり、出演者6人の小さな舞台。何度も上演を考えてはあきらめてきたという本作で、ケムリ研究室の方向性ははっきり見えてきたように思う。すなわち、やってみたいことをやる、というシンプルで確固たる意志が。

ご存じ、安部公房の名作「砂の女」は、昆虫採集に来た男が砂穴の中で暮らす女の家に閉じ込められる不条理作である。砂をかき出さないと水も与えられない過酷な環境に閉じ込められた男は何度も脱出を図るが、じきに女と深い関係になり、女が子宮外妊娠で病院に運ばれる段になると、外に出られる状態にもかかわらず家に留まる。

確かに不条理で非現実的なあらすじだ。だが、地に足の着いた女(緒川)の存在感は、不気味さ以上にかわいさを感じさせる。受動的でありながら官能的であり、生きることに強い執着を見せる女に、いらだちや暴力性をあらわにする男(仲村トオル)。男が嫌らしく見えれば見えるほど、人間的な弱さも伝わってくるのがうまい。

オクイシュージ、武谷公雄、吉増裕士、廣川三憲の4人の存在も大きい。入れ代わり立ち代わり、村人や男の勤務先の人々らを演じるが、彼らの正直な残酷さ、無責任な野次馬根性は、人間社会の縮図だ。彼らはその場限りの快楽を求める名もなき人々の代表でもある。

原作に忠実ながらも、がまん比べのように何度も同じシーンを繰り返す演劇的な手法など、舞台ならではの工夫が楽しい。非常識な村のしきたりにいらだっていた男が、自身のわずかな自由のため村の非常識を受け入れ、「女」がそれに抵抗するシーンは、「男」と「女」の印象が逆転する分岐点。すべてを受け入れ、奴隷(どれい)のように生きていた女は「尊厳」を失っておらず、男は強い抵抗の意志を簡単に捨てる。緒川と仲村の骨のある演技は、「特殊」に見えた砂の女の世界が、私たちの社会と地続きであることをはっきりと示す。

傾斜のあるシアタートラムの客席は、前方列に座ると砂穴に落とされた感覚になり、後方列に座ると砂穴をのぞき見ている感覚になる。たっぷりしたカーテンをスクリーンに見立て、動く砂を立体的に表現した加藤ちかの美術、吹き上げた砂のように的確な音を鳴らし続ける上野洋子の演奏も、舞台の没入感を高めるのに一役買った。理屈で理解しがたい物語を、五感に訴えかけることで消化しようとする仕掛けは見事だ。いつの間にか靴に入りこんだ砂のざらざらとした足触りが残る、そんな舞台だった。

5日まで、東京・世田谷のシアタートラム。問い合わせは、キューブ03・5485・2252(平日正午~午後5時)。兵庫公演あり。(道丸摩耶)

公演評「鑑賞眼」は毎週木曜日正午にアップします。

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