【紀伊半島豪雨10年】和歌山・新宮の九重地区 城和生さん 被災と石碑の記憶「語り継ぐ」(1/2ページ) - 産経ニュース

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紀伊半島豪雨10年

和歌山・新宮の九重地区 城和生さん 被災と石碑の記憶「語り継ぐ」

石碑を前に、豪雨を「後世に語り継ぎたい」と話す城和生さん=和歌山県新宮市の九重地区
石碑を前に、豪雨を「後世に語り継ぎたい」と話す城和生さん=和歌山県新宮市の九重地区

和歌山県新宮市北部の小さな集落・九重(くじゅう)地区も、10年前の紀伊半島豪雨で大きな被害に見舞われた。地区出身で区長の城和生(じょうかずお)さん(71)は一時上京し就職したが、豪雨後、一人暮らしの母親が暮らす故郷に戻った。地区では豪雨で死者は出なかったが、家屋が土石流による浸水や損壊の被害を受けた。豪雨を機に、地区内には昔の自然災害の記憶を伝える石碑が残されていることも判明。城さんは豪雨とともに石碑の記憶を「後世に語り継ぎたい」と話す。


城さんは九重地区で生まれ、中学校を卒業するまで住み続けた。高校卒業後は上京し、大学卒業後は東京の企業に就職した。

10年前に紀伊半島豪雨が発生した9月4日は出版社で勤務していた。インターネットなどで和歌山県が豪雨被害を受けたことを知ったが、故郷の地区の状況は不明のまま。心配が募り、「空振りでも構わない」と5日早朝、車で故郷に向けて出発した。

地区には、一人暮らしで当時90歳の母、照代さんを残していた。3日夕ごろに「水が引いたから大丈夫」という連絡を受けて以降、電話がつながらないままだった。

到着したのは5日夕。目にしたのは大量の泥に浸かった実家だった。

幸い照代さんは無事だったが、九死に一生だった。

自宅前の川が氾濫し、平屋建ての母屋は1階部分がほぼ浸水。照代さんはソファに乗り、水に浮いたまま一晩を過ごし難を逃れた。水面から天井までの、わずか1メートル弱の空間が救いとなった。

「母は、私が東京から帰ってくるとは思っていなかったらしく、『和生が来た!』と驚いていました」と城さん。「よく生きていてくれたと思います」と振り返る。

以前から「老後は故郷で」と考えていた城さんは母親を一人残すことへの不安もあり、翌平成24年、地区に移住。28年春には区長に就任した。