アクション俳優の千葉真一さんが8月19日、新型コロナウイルスによる肺炎のため死去した。82歳だった。お茶の間の人気を博しただけでなく、後進の育成にも熱心だった千葉さん。映画評論家・映画監督の樋口尚文さんが振り返った。
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またひとり新型コロナで映画界の輝ける星が鬼籍に入った。惜しまれつつ82歳で逝った千葉真一は、わが国で最も愛されたアクション・スターであろう。
昭和14(1939)年生まれの千葉は持ち前の運動神経で注目され、日本体育大学で器械体操の選手として五輪も視野に入れていたほどのホープだった。故障でその夢を諦めかけたとき、たまたま東映のニューフェイス募集に合格、34年に入社した。
この頃、日本映画界は戦後最大の観客動員を記録した絶頂期にあったが、実は千葉が俳優としてデビューした翌35年以降は、真っ逆さまに興行不振の時代に転落してゆく。千葉は晩年まで「映画スター」として輝いていたが、実は映画が新興のテレビジョンに押されて凋落していった時代の「遅れてきた青年」だった。
したがってデビュー直後の千葉は数々の(量産された)プログラム・ピクチャーの娯楽作に駆り出されたものの、彼の魅力をあまねく知らしめたのはテレビ映画(フィルムで撮られたテレビドラマ)であって、その筆頭が43年放映開始の「キイハンター」だ。このバタ臭く日本人離れしたアクションと陽性の気風はお茶の間の人気を博し、文字通りアクション・スター千葉真一の原点となった。
これ以降も千葉は数々のテレビ映画で活躍するが、1970年代の不振を極めた映画界を、逆に活躍の場として活(い)かすようになる。たとえば深作欣二(ふかさく・きんじ)監督の「仁義なき戦い 広島死闘篇」では、従来の爽やかな二枚目の殻を破ったクレージーなやくざに扮(ふん)し、折からのカンフー映画ブームに便乗した「激突!殺人拳」などの諸作では本家ブルース・リーさえ唸(うな)らせた独自のアクションで観客を魅了した。
さらに特筆すべきは、自らのジャパンアクションクラブで後進を育てることにも心血を注ぎ、志穂美悦子、真田広之らのスターを生み出し、さらに「戦国自衛隊」などの作品で従来の殺陣(たて)師の枠を超えたアクション監督を務めた。いずれもスターとしての個を超えて、映画を豊かにしようとする「作品至上主義」の表れに思われた。この自らの肉体を超越した映画人魂こそが、クエンティン・タランティーノやジャッキー・チェンら海外の名だたる映画人をも鼓舞した。
だが実は、アクションを封印した千葉の「静」の演技も滋味あふれるものだった。佐藤純彌(じゅんや)監督の傑作「新幹線大爆破」のひたすら座したまま焦燥を表現し続ける新幹線の運転士役、山田太一脚本のドラマ「深夜にようこそ」の人生の酸いも甘いも知ったコンビニ店長の役などはあまりにも印象深い。(寄稿、一部敬称略)