【紀伊半島豪雨10年】集落孤立の危機に「助けおうて、支えおうて」(1/2ページ) - 産経ニュース

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紀伊半島豪雨10年

集落孤立の危機に「助けおうて、支えおうて」

紀伊半島豪雨からの10年を振り返る前奈良県十津川村長の更谷慈禧さん=同村
紀伊半島豪雨からの10年を振り返る前奈良県十津川村長の更谷慈禧さん=同村

平成23年9月の紀伊半島豪雨で多発した山崩れやがけ崩れで道路が寸断され、陸の孤島と化した奈良県十津川村。当時村長だった更谷慈禧(よしき)さん(74)は、2カ月にわたって役場に寝泊まりしながら復旧を指揮した。「うらみつらみ言わんと、自分たちで助けおうて、支えおうて」。孤立した集落で見た支え合って生きる村人の姿が、その後の村の復興事業の原点だった。

「(自宅の)すぐ近くで地すべりが起きて、道がなくなった。家内には『おらが命はおらで守ってくれよ』と伝え、自宅には帰らなかった」

豪雨は、道という道をことごとく寸断した。宇宮原(うぐはら)地区の更谷さんの自宅周辺も例外ではなかった。

「光ファイバーとか電話とか、村内の連絡網はぜんぶ途切れた。マスコミの人たちは新聞やテレビで情報流すから、都会の方が村の状況を知っとるわけです。(自分の)足で確認する以外にどうしようもなかった。状況がわからんほど苦しいものはない」

寝泊まりは役場。床に座布団を並べて避難者用の毛布をかけて寝ていたという。「男ばっかりの雑魚寝やんか。風呂にも入れないから異様な臭いがしとった」

10日ほどしてやっと役場にある温泉に交代で入ることができた。「みんな上がってきたらにこにこしてな」。今となっては懐かしく思い出される光景もあるが、当時は必死だった。

水害発生から約1カ月後には手にしびれを自覚。心配した幹部職員が更谷さんを無理矢理に車に乗せ、大阪の病院で診てもらうと、心筋梗塞の一歩手前で入院を余儀なくされる。