人生の半分の時間をささげてきたプール。過去のように表彰台の真ん中を射止めることはできなかったが、それでも充実感に満ちあふれていた。金メダル通算15個の実績から「水の女王」の異名を持つ成田真由美(51)が30日、50メートル背泳ぎ(運動機能障害S5)決勝に臨み6位入賞。「若い選手たちに、私が持っているものを全部伝えたいと思った」。成績より大切なことをモチベーションに置いた自国開催の大会で最後の泳ぎを終え、涙がこぼれた。
4大会連続出場となった2008年北京大会の直前、これまでのS4クラスから、障害の軽いS5クラスへの変更が決定。メダル獲得を逃した。
「引退しなさい」。水球の元五輪代表で、当時のコーチだった福元寿夫さん(60)はこう伝えた。1つ前のアテネ大会までの3大会で金メダル15個を含む通算20個を獲得。「水の女王」の称号の裏で、過酷な練習をこなしてきた。それゆえ、成績をモチベーションに自らを追い込むのは、限界だった。
転機は13年に決定した東京大会の開催だ。後進があまり育っておらず、自分の泳ぎで何かを感じる若手が出てくればとも考えた。
翌年、福元さんに告げた。「先生。私、もう一回やるから」
中学生で横断性脊髄(せきずい)炎による下半身まひとなり、車いす生活に。さらに23歳のとき、初めて参加した水泳大会の帰り道で追突事故にあい、頸椎(けいつい)を損傷、左手の動きが悪くなり、体温調節も困難になった。
福元さんは〝復帰宣言〟に、やめた方がいいと言いつつ、「やめないだろうなと思った。もう、メラメラと目が燃えていたから」。まずは2年後に迫っていたリオデジャネイロ大会を目標に据え、鍛えなおした。
心臓病や不整脈を抱え、練習で意識を失うこともあった。それでも、新たなモチベーションが、プールへと向かわせた。
この日、今大会の出場種目で初めて予選を通過。決勝でも好スタートを切り、唯一の推進力である手を懸命にかき、ゴールにたどり着いた。「泳いでいるときも、この5年間を走馬灯のように思い出した」。これまでの歩みを思い、女王は胸を張った。(本江希望)