朝晴れエッセー

妻の味は母の味・8月29日

正直、以前は「母の味」という言葉に反発してしまうこともあった。

私は母の料理を知らないからだ。離婚した母は、3歳になる前の私を残して出ていった。味どころか顔も覚えてない。直後に父も亡くなり祖母に育てられた。

だが祖母は料理が嫌いだったので、出されたものをただ食べただけで味は記憶にない。境遇からすれば、食べ物に不自由せずに済んだだけでも幸いだったのだろう。

縁あって結婚した妻は、食へのこだわりも好き嫌いもない私に、37年間も料理を作り続けてくれ、何を食べても比較のしようがない私は「おいしい」と言い続けた。妻はいつも笑っていた。

その妻は還暦を迎える前に、長いガンとの闘いの日々を迎えた。

そして私の書いていた妻の闘病日記が6年目を迎えようとしたとき、妻の料理をメモり始めた。もう台所に立てる日は少ないと思ったからだ。

「ほうれん草、ウインナー、玉ねぎのグラタン。トンテキに焼きリンゴ添え」

最初のメモは精一杯の手料理だった。

それから20日後、緊急手術の1週間前。立っているのもつらいのに「アスパラの肉巻き、高野豆腐炊き合わせ、ハムサラダ」を娘の助けで作ってくれた。

それで宝物の料理メモは終わっている。

今日が最後かもしれないと、毎日かみしめて食べた味は私たちの体の一部になり、その味は私にとって子供たちと同じように、とっくに母の味になっていた。

妻は置き去りにされた私を、迎えに来てくれた母だったのかもしれない。


相野正(71) 堺市美原区