渋沢栄一が明治維新以降に出会った人物を語るとき、かなりの割合で登場する3人組がいる。
早稲田大学を創立し、わが国初の政党内閣を率いた大隈重信(1838~1922年)、初代をはじめ、4度首相を務めた元老、伊藤博文(1841~1909年)、そして伊藤の盟友で元老、また外相や蔵相などの要職を歴任する一方、公私ともに芳しくない評判もあった井上馨(1835~1915年)である。
「はじめ私が大蔵省(厳密には民部省)に奉職するときには大隈さんに、奉職してからは大隈さんよりは伊藤さんに引きたてられた」「井上さんは大蔵卿(現在の大臣)と同様の地位にあって明治4(1871)年、5年、6年の春まで大蔵省の仕事をせられた。そしてまた、私が真に大蔵省の仕事をしたという時期もその間であって、井上さんの下で働いたのであった」(いずれも『渋沢栄一全集』第3巻収載「進退を共にした井上馨侯」。旧仮名・旧漢字表記などを編集。以下の引用も同様)