日曜に書く

論説委員・山上直子 絵描き安野さんについて

高島屋大阪店で始まった安野光雅さんの追悼展「洛中洛外と京都御苑の花」展=25日午前10時28分、大阪市中央区(沢野貴信撮影)
高島屋大阪店で始まった安野光雅さんの追悼展「洛中洛外と京都御苑の花」展=25日午前10時28分、大阪市中央区(沢野貴信撮影)

「ちょっと違うんだよね」

だまし絵で知られるエッシャーの影響があるといわれると、いつも少し唇をとがらせ安野光雅さんはこう言った。そして「物理学者によると数学的構造が違うんだ」と。

数学的?構造? 素人には何がなんだかさっぱりである。あえてニュアンスをくみ取ると「まねじゃない。オリジナルなんだ」ということらしかった。

昨年12月に亡くなった安野さんの追悼展が、大阪市中央区の高島屋大阪店で開かれている。9月には横浜店でも開催予定。最晩年に京都を旅し、本紙に連載した「安野光雅が描く洛中洛外」の原画展だ。

独学ゆえに

「何でも描けるのが絵描き、とよく言っていました。そして何でも描けなければ絵描きではないとも」と教えてくれたのは、35年来の付き合いになるという安野光雅美術舘(島根県津和野町)の大矢鞆音(ともね)館長だ。

これは、画家として常に根っこにあった考えではなかったか。そのうえで安野さんの画業を語るとき、師を持たず団体にも属さず、独学を貫いたことが核になる。

以前、絵の好きな人から安野さんの人物のデッサン力はどうなのかと問われたことがあった。評価などできもしないが、代表作『旅の絵本』シリーズをはじめ群像を描いた作品はいくつかある。簡略化された人物はさらりと手早く描いたようでいて、遠目に見ると生き生きと動き出すような気がする。

「デッサン力はすごいですよ。しっかりとした基礎がある。一昨年に、かつて安野さんが描いた裸婦のデッサンが美術館に入ったのですが、それを見れば明らかです」と大矢さん。これは、展示があればぜひ見に行きたい。

安野さんは津和野町に生まれ、東京に出て小学校教員になった。そのかたわら「絵描きになりたい」という夢を追い続ける。公募展に出品したり、20代後半頃からは毎年のように自分で個展を開いたりしたそうだが絵はなかなか売れなかった。

絵本作家として

転機は40代で出版した絵本『ふしぎなえ』だ。エッシャーとの関連性をいわれるが、安野さんのコメントは冒頭の通り。絵を描いて遊んでいるうちにできたといい、『さかさま』『ABCの本』と続き、瞬く間に人気絵本作家となった。

その後、数学のおもしろさを表現した絵本『はじめてであうすうがくの絵本』や、海外旅行の自由化もあって「旅」も欠かせないテーマとなっていく。

師も弟子も持たず、の安野さんだが、決して一人が好きなわけではなかった。むしろ、その人柄を慕う友人、知人、担当者、そしてファンがいつも周りにひしめいてにぎやかなことこの上ない。佐藤忠良、河合隼雄、井上ひさし、そして高峰秀子と、ポンポンとその口から飛び出すビッグネームに目を白黒させたことも多かった。

十八番(おはこ)の自慢話は、高峰さんが語る「男性の松竹梅」について。いわく、映画監督の松山善三さんは梅で、理由は「夫だから仕方がない」。竹は作家の沢木耕太郎さんで「なぜだか知らないけど」と安野さんはちょっと不満顔になり、「松はね、安野さんよって高峰さんは言うんだよ」と、オチを披露してうれしそうに破顔するのだった。

博覧強記の人

約10年、京都の旅の案内役を務めたが、いつも車に乗り込むなり「ところで〇〇についてどう思う?」と最近の気になった話題について問いかけ、皆の意見を聞き、ときに自分の見解を話し始める。この好奇心が安野さんのエネルギー源で、なにより読書家であった。ユーモアあふれ、軽妙洒脱(しゃだつ)なエッセーは必見である。

今回の展覧会では、安野さん独特の俯瞰(ふかん)した「鳥の視点」というか、少し上から見て描いたとしか思えない町や風景、社寺の絵が見どころだろう。実際に向かいの建物などその高さから見て描いたものもあるが、多くは安野さんならではの「空想の世界」だ。珍しい人物像、それも坂東玉三郎さんなどふとした出会いで描かれた作品などもあり、このあたり「なんでも描けるのが絵描き」という言葉の神髄を見る気がする。

たかだか最晩年に少し京都を案内したにすぎないが、今更ながらにもっと聞いておけばよかったと思うことは山ほどあった。亡くなっていま、安野さんへの旅はまだ始まったばかりという気がしている。(やまがみ なおこ)