メインスタジアムには色とりどりの国旗がはためいていた。祝祭の始まりを告げる開会式は異様な盛り上がりを見せた。第二次世界大戦後に建国されたアジアの新興国で初めて開催される夏季五輪は特別だった。
1980年のソ連(当時)・モスクワ大会は、前年のソ連によるアフガニスタン侵攻を理由に、米国や西ドイツ(同)などがボイコットし、日本も同調した。84年の米ロサンゼルス大会はソ連を中心とした社会主義諸国などが参加せず、報復に打って出た。だから、米ソ両国をはじめ、東西の主要国が一堂に会する88年のソウル(韓国)五輪は世界の注目を浴びた。
そうした背景もあり、当初は東西冷戦や分断の象徴であったソウルと平壌(北朝鮮)での共催も取り沙汰されたが、北朝鮮側は開会式と閉会式などをソウルと平壌で別々に実施することにこだわった。五輪開催権はあくまで韓国側にあるというのが国際オリンピック委員会(IOC)の見解で、結局、共催が実現することはなかった。
北朝鮮はソウル五輪の前年の87年11月、大韓航空機爆破事件を起こす。恐怖をあおり、ソウル五輪への各国の参加申請を妨害する狙いがあったとされる。
後に分かることだが、この大韓機爆破事件が北朝鮮による日本人拉致事件と密接に関係し、なぜ北朝鮮工作員が日本人を拉致したのかを示唆していたのだ。
実行犯は北工作員
実行犯は、北朝鮮工作員の男女。男は当時59歳、女は25歳で、日本人親子を装った。バグダッド(イラク)発アブダビ(アラブ首長国連邦)、バンコク(タイ)経由ソウル行きの機内の棚に時限爆弾を置いた2人はアブダビで降機した。