上杉謙信の愛した5億円の名刀「山鳥毛」 - 産経ニュース

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上杉謙信の愛した5億円の名刀「山鳥毛」

上杉謙信が愛した国宝「太刀 無銘一文字(山鳥毛)」
上杉謙信が愛した国宝「太刀 無銘一文字(山鳥毛)」

戦場での圧倒的な強さから軍神とも呼ばれた戦国武将・上杉謙信や、その養子である景勝に引き継がれた国宝「太刀 無銘一文字(山鳥毛(さんちょうもう))」が、岡山県瀬戸内市長船町の備前長船刀剣博物館に収められている。瀬戸内市長船地区は刀工の流派である福岡一文字派や長船派が備前刀の生産拠点としていた歴史があり、同館では謙信以外にも名高い戦国武将らが愛した名刀を紹介している。7月30日から行われていた特別展で一般公開されていたが、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、臨時休館に。刀剣ファンからは惜しむ声もあがっている。

信玄と謙信一騎打ちの銅像。謙信が手にしていた刀は備前刀の小豆長光だったとされる=8月8日、長野市小島田町の川中島古戦場八幡社(高田祐樹撮影)
信玄と謙信一騎打ちの銅像。謙信が手にしていた刀は備前刀の小豆長光だったとされる=8月8日、長野市小島田町の川中島古戦場八幡社(高田祐樹撮影)
川中島の戦いでも

国宝・山鳥毛(刃長79・1センチ)は鎌倉時代中期につくられた福岡一文字派の最高傑作で、戦国時代には上杉謙信から養子である景勝に引き継がれたと伝えられる。

山鳥毛の特徴は、焼き入れによって刀身に浮かび上がる刃文。備前刀の中でも刃文が華やかで美しく、まるで山鳥の羽毛のように見えることから、山鳥毛と呼ばれるようになったという。また、過去の戦闘時にこの太刀が戦場で使われたことを示す証拠である刃こぼれも見られる。

謙信は、生涯約70回の合戦に出陣し、敗れたのは2回だけとされ、圧倒的な強さを誇ったことから「軍神」ともされる戦国武将。謙信は無類の愛刀家だったといい、多くの備前刀を収集したとされる。

謙信といえば、ライバル武田信玄との「川中島の戦い」での一騎打ちが戦国時代きっての名場面だ。実際に2人が打ち合ったかは諸説あるものの、あの戦闘で謙信が信玄に斬りつけた刀は長船派の名工、長光による「小豆(あずき)長光」という。

小豆長光は所在不明だが同じ長光による国宝「大般若長光」は東京国立博物館が所蔵。大般若長光は織田信長ら戦国武将によって所有されたという。現在、備前長船刀剣博物館には大般若長光を再現した「大般若長光写し」が所蔵されている。

織田信長ら戦国武将に引き継がれた国宝「太刀 大般若長光」を再現した「大般若長光写し」=岡山県瀬戸内市長船町の備前長船刀剣博物館(高田祐樹撮影)
織田信長ら戦国武将に引き継がれた国宝「太刀 大般若長光」を再現した「大般若長光写し」=岡山県瀬戸内市長船町の備前長船刀剣博物館(高田祐樹撮影)
日本刀の聖地・長船

瀬戸内市長船地区は、平安時代末期から江戸時代初めにかけ、日本全体の約4分の1の刀工を輩出。現在、国宝や重要文化財に指定されている刀剣の約4割は備前刀という。

長船地区には古くから製鉄技術があり、中国山地で採取できる良質な砂鉄や、熱源や鍛刀に必要な炭を運ぶ吉井川がそばにあった。また、多くの人が行き交う山陽道が通っていたことなどの理由から、日本刀が盛んに生産された歴史がある。

山鳥毛は、瀬戸内市が名刀の産地として目玉となる観光資源にしようと昨年3月、ふるさと納税や寄付で集めた約5億円を使い、県内の個人から購入し、備前長船刀剣博物館の所蔵となった。

歴史に思いはせて

「太刀打ちできない」「元のさやに収まる」「反りが合わない」「しのぎを削る」-。

刀剣博物館の学芸員、杉原賢治さんは「今でこそ、日本刀は特別なものになっているが、戦前の一般家庭にも結婚式などの神事のために刀があり、現在の生活の中にも刀に関する言葉は多くある」と指摘する。

「折れず・曲がらず・よく切れる」が特徴の日本刀で、備前刀はさらに「美しい」という特徴が加わるという。

刀剣は戦国武将たちの間で、接近戦の武器としてだけではなく、献上品や褒美として、武を重んじる伝統の象徴として受け継がれてきた。

杉原さんは「展示品の鑑賞を通じ、刀剣自体や歴史への理解を深めてもらえたら」と話している。(高田祐樹)

備前長船刀剣博物館は岡山県内の新型コロナウイルス感染拡大を受け、9月12日まで休館している。

問い合わせは同館(0869・66・7767)。