完全な脱炭素化で7400万人の命が救われるか ある研究が示した「炭素の社会的費用」の重さ

1トンの二酸化炭素を大気中に放出するごとにもたらされる損失を貨幣価値に換算する「炭素の社会的費用」に、気候変動に起因する損失や異常高温によって失われる人命のコストを加えた数値が論文として発表された。推定では世界経済が2050年までに完全に「脱炭素化」して二酸化炭素排出量がゼロになると、全世界で7,400万人が熱波関連の死から救われるという。あくまで思考実験という位置づけの論文だが、実世界の政策にも影響を及ぼすかもしれない。

TEXT BY ERIC NIILER

WIRD(US)

気候経済学者たちは「炭素の社会的費用」という概念を利用し、1トンの二酸化炭素を大気中に放出するごとにもたらされる損失を貨幣価値に換算してきた。ホワイトハウスは2021年2月、政府機関が新たに環境規制を制定する際に炭素の社会的費用を考慮すると発表している。

こうしたなかある研究チームが、気候変動が原因の熱波による死者数を分析し、炭素の死亡コストを算出した。学術誌『Nature Communications』に7月29日付で掲載された論文によると、1人の命を救うには推定4,434トンの二酸化炭素の大気中への放出を防がなくてはならない。これは平均的な米国人3.5人が生涯に排出する二酸化炭素の量に相当する。

論文の筆頭著者でコロンビア大学の大学院生であるダニエル・ブレスラーの推定によると、世界経済が2050年までに完全に「脱炭素化」して二酸化炭素排出量がゼロになった場合、全世界で7,400万人が熱波の関連した死から救われる。「個人、企業、国家、そして世界規模での排出削減を進めることで、救われる人命はかなりの数になります」と、ブレスラーは言う。

猛暑の問題に焦点

ブレスラーの研究は、気候変動に起因する猛暑の問題に焦点を絞っている。猛暑は熱中症、脱水、呼吸不全、臓器不全を引き起こし、とりわけ高齢者はリスクが高い。

今回のモデルの構築に当たってブレスラーが出発点としたのは、イェール大学の経済学者ウィリアム・ノードハウスが開発した炭素の社会的費用に関する先行モデルだ。ノードハウスは二酸化炭素排出のコストについて、1トンあたり37ドル(約4,060円)と試算している。このモデルにブレスラーは、気候変動が公衆衛生に与える影響や、熱波による超過死者数の増加に関する新たな研究のデータを加えてアップデートした。

新たなモデルでは、個人の排出量が2050年まで増加を続けたあと、横ばいになって21世紀末を迎えるというシナリオが採用されている。ノードハウスのモデルを気候変動に関する新情報と比較したブレスラーは、「以前のモデルでは結論として死者数増加による損失は全体の5%未満とされていて、最新研究をベースに改定されていませんでした」と指摘する。

北半球の各地では、今夏だけでも猛烈な熱波が山火事を引き起こしている。6月下旬には、太平洋岸北西部に停滞した「ヒートドーム」が原因でワシントン州とオレゴン州で100人以上、ブリティッシュコロンビア州では500人近くが亡くなった。

熱波関連死の37%が気候変動に起因

ブレスラーが論文で示した炭素の社会的費用は、先行研究で示された1トンあたり37ドルでも、ホワイトハウスが採用している51ドル(約5,600円)でもない。258ドル(約28,000円)という驚きの試算結果である。この数値は、1トンの二酸化炭素排出の結果として生じるすべての社会的損失(農業生産の低下、嵐による生産性低下、海面上昇による損失、気候変動に起因する洪水からの復旧に必要な費用など)に、異常高温によって失われる人命のコストを加えたものだ。

毎年夏には、エアコンがないせいで、あるいは基礎疾患のせいで多くの人々が亡くなる。このため、熱波に関連した死に気候変動がどれだけ影響しているのか理解することは難しい。だが、いまでは証拠が豊富になってきたおかげで、こうした計算が以前より容易になっている。

学術誌『Nature Climate Change』に今年3月に掲載された論文では、全世界のすべての熱波関連死のうち、平均37%が気候変動に起因すると試算されている。ロンドン大学衛生・熱帯医学大学院の研究チームは43カ国のデータを分析し、1991年から2018年の間に人為的な温暖化の結果として生じた熱波で死亡した人数を推定した。