東京パラ・シッティングバレー代表の加藤 52歳、17年ぶりの代表復帰

シッティングバレー日本代表の加藤昌彦選手(千葉県勝浦市提供)
シッティングバレー日本代表の加藤昌彦選手(千葉県勝浦市提供)

シッティングバレーボール界の〝レジェンド〟が、パラリンピックの舞台に帰ってきた。27日に初戦を迎えたシッティングバレーボール男子の加藤昌彦(52)=千葉県勝浦市在住=は2004年アテネ大会後に一度代表を退いたが、自国開催に向け代表に復帰。若い選手が多いチームに経験を伝え、チームを引っ張る。

昭和44年に同県松戸市で生まれた加藤は、小学生の頃から社会人までサッカーに打ち込んだ。だが、26歳のとき、医療過誤により左足を切断。リハビリに励み、義足でサッカーに復帰したが「風を切って走ることができなくなり、やればやるほど喜べなくなった」と複雑な思いを抱えた。

そんなときにシッティングバレーを知った。ボールを蹴ったりヘディングしたりでき、サッカーに似ていた。その上、「仲間と一緒に喜ぶことができる」団体競技である点にひかれた。始めるとサッカーで培った運動能力で瞬く間に上達。1年ほどで日本代表に選ばれ、00年シドニーと04年のアテネの2大会連続でパラリンピックに出場した。

アテネ大会後、代表を退き、千葉市のクラブチーム「千葉パイレーツ」で競技を続けていたとき、20年大会の開催地が東京に決定。競技連盟から代表復帰を打診された。復帰には、家族のサポートも大きかった。

日本代表での活動がきっかけで知り合った妻の朱美さん(47)は春高バレーで優勝を経験し、実業団でもプレー経験がある。「本人は体力が戻るか不安もあったみたいだが、声をかけてくれたことがうれしかった」と振り返る。2人の息子も復帰を応援してくれた。食事を見直し、職場にトレーニング器具を持ち込んだ結果、体重は約10キロ落ちた。代表の練習にも参加し、順調に調整を進めてきた。

しかし、新型コロナウイルスの感染拡大により、大会は1年延期になり、チームでの練習も行えなくなった。勝浦市で体育館を借り、週1~2回朱美さんと個人練習に取り組んだ。朱美さんは「私が鬼になって厳しく指導したこともあった」と笑う。

無観客での開催となり、予定されていた勝浦市の小中学生による学校連携観戦も中止に。それでも、同市立勝浦中学校の全校生徒約300人が応援旗を作成。地元からエールを送る。家族も会場で雄姿を見ることはかなわないが、代表合宿の動画を見て助言するなど直前までサポートを続けてきた朱美さんは、「今までやってきたことが出せて、本人が悔いなくやってくれたらうれしい」と勝浦から応援する。(長橋和之)

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