【話の肖像画】評論家・石平(59)(25)中国と「離れていた時代」こそ良い時代 - 産経ニュース

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評論家・石平(59)(25)中国と「離れていた時代」こそ良い時代

「正論」懇話会で講演=平成22年、千葉市
「正論」懇話会で講演=平成22年、千葉市

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《2014(平成26)年、すぐれた人文・社会科学の論評などに与えられる「第23回山本七平(しちへい)賞」を受賞した。受賞作となった『なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか』(PHP新書)は、日本は中国と付き合わなかった時代ほどよかった、という斬新な視点で書かれている》


繰り返しになる部分もありますが、少し詳しく述べると、菅原道真の進言によって遣唐使を廃止した平安時代、日本独自の「国風文化」が花開きます。鎖国の江戸時代には「国学」が盛んになります。儒教の悪い面に毒された中韓とは違って、町人文化が発達しました。

「脱亜入欧」を掲げた明治以降も、日露戦争までは良かったと思います。ところが、1937(昭和12)年に日中戦争が始まって日本は誘い込まれるように中国大陸へ深入りしてしまう。戦争は泥沼化し、米英が参戦する口実を作ってしまった。満州(現中国東北部)でとどめておけば、亡国の悲哀を味わうこともなかった。万里の長城の「外」であった満州は、日本の力によって近代化されました。満州の人々にとっても幸せな結果になったでしょう。

つまり、日本は「中国抜き」の時代ほど安定した平和な社会が続いたのです。それが、中国とのかかわりができると、メチャクチャにされてしまう(苦笑)。こうした視点はこれまでなかったでしょう。

現代の政治でも同じ。靖国問題の回でも述べましたが、80年代半ば、中曽根康弘首相(当時)の参拝をきっかけに「反日」が吹き荒れます。これも、中曽根さんが胡耀邦(こ・ようほう)(元中国共産党総書記)と「個人的な親しい関係」を結んだがゆえに、起きたことだといえる。中国(人)との密接な関係をつくるとロクなことにはならない。災いの元なのです。

この法則は、ある意味で中国以上に異常である朝鮮半島の国々にも当てはまります。中国や朝鮮半島の民族は思想も文化も本質的に日本とは違っている。「同文同種」の民族ではなかったのです。日本人は、いまこそ、このことに気付くべきでしょうね。


《現代の日本の政治家や官僚の対中国交渉のやり方には大いに不満を感じている》


尖閣問題でも靖国神社問題など歴史認識問題でもそうですが、できるだけ中国を刺激しないような「事なかれ主義」に終始しています。どうも今の日本の政治家は最初から、中国に対して畏怖というか、先の大戦の負い目というべきか、「かなわない」といった印象をもっているように思えてなりません。これはメディアや知識人といわれる人も同じ。先の大戦に敗れ、GHQ(連合国軍総司令部)による占領政策が行われてからずっとそうなのです。

明治の日本人は、そんなことは考えなかった。教養の面でも漢文や歴史など現代より、よほど中国のことを知っており、勉強をしていました。その上で、中国にひれ伏すことなどなく、堂々と渡り合ったのです。そうした気概や志は、「チャイナスクール」などと呼ばれる今の外務官僚には、まったく感じられません。サンフランシスコ講和条約(1952年)で独立を回復してから何年がたっているのか、と言いたいですよ。

日本人には先人が築いてきた誇るべき精神と伝統がある。それは、貪欲に利権をあさってきたような中国のやり方とは対極にあるものなのです。(聞き手 喜多由浩)

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