勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(296)

僕ちゃんの記録田淵444号 ミスターに並んだ

オールスター戦で長嶋に祝福される阪神の田淵
オールスター戦で長嶋に祝福される阪神の田淵

■勇者の物語(295)

昭和58年シーズン、2位で終わった上田阪急だが、優勝した西武とのゲーム差はなんと「17」。〝1強5弱〟―西武の独走を許したのは「阪急が西武に弱かったから」といわれている。

5月が終わった時点で対戦成績は2勝7敗。原因は阪急の投手陣が西武の主砲・田淵にカモにされたこと。5月24日からの3連戦をみてみよう。

①24日 ○西武9―4●阪急 田淵が一回に山田から11号先制3ラン

②25日 ○西武12―2●阪急 田淵が山沖から12、13号と2打席連続ホームラン

そして26日の3戦目では4―4の同点で迎えた五回、阪急の2番手・木下からセンターのアストロビジョン直撃の14号ホームラン。元巨人監督の長嶋茂雄(当時は評論家)と並ぶ通算444号〝メモリアルアーチ〟となった。

「ついに追いついたね。感想? 意外に早かった気がする」

試合後、記者団に囲まれた田淵は照れくさそうに笑った。巨人担当の先輩、清水満記者が東京・田園調布の長嶋邸に電話を入れた。ミスターの第一声は―

「おお、僕ちゃん、とうとうやったか!」

田淵のことを〝僕ちゃん〟と呼ぶのは母親の花江さんだけかと思っていた。45年1月、阪神に入団した田淵が選手寮「虎風荘」に入寮する際、東京からついてきた花江さんが「僕ちゃん、家具はこれだけでいい?」。これには当時のトラ番記者たちも驚いたという。

入団当初、長嶋の目には田淵の〝甘さ〟が映っていた。

「どうだろう、彼はどうもハングリー精神に欠けているように思う。僕ちゃんだから…。僕ちゃんはハートだけで野球をやっているんだよ」

清水先輩によれば、そんな長嶋が数年後、田淵を〝男〟と認めた事件がある―という。それは田淵が女性問題でもめ、給料の全額を慰謝料にあてることを聞いたときだ。長嶋は「男が女性にお金を使うようになったら一人前。これからの田淵は怖くなるよ」とうなずいた。

予言通り50年シーズン、田淵は王を抑え、43本のホームランを放って初の「本塁打王」に輝いた。その時の巨人の監督は、背番号「90」の長嶋監督である。(敬称略)

■勇者の物語(297)