戦う父の背中見せる 松本 還暦間際の集大成 - 産経ニュース

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戦う父の背中見せる 松本 還暦間際の集大成

「最後まで戦う」と話す柔道の松本義和(右)=大阪市西成区 (安元雄太撮影)
「最後まで戦う」と話す柔道の松本義和(右)=大阪市西成区 (安元雄太撮影)

17年越しに挑む3度目のパラリンピックで、柔道男子100キロ級の松本義和(59)は体現したいことがある。20歳で視覚を失い、2人の子供にはドライブもキャッチボールもしてあげられなかった。どうしたら自慢の父親になれるのか。答えは一つだった。最後まで戦い続ける背中を見せる―。何度も道が閉ざされても、あきらめなかったからこそたどり着いた大舞台。還暦間近の柔道家が集大成の戦いに臨む。

大阪市浪速区出身。軟式テニスに熱中していた高校時代に緑内障と診断され、20歳で全盲になった。進学に就職に、それぞれの夢に向かっていく同級生と対照的に、好きだったスポーツはおろか、自転車にも乗れなくなった自分に絶望した。

視覚支援学校に入学し、身体を鍛えようと軽い気持ちで柔道を始めた。「人がやっている様子を、見て学ぶことができないのが一番のハンディだった」。まさに手探りだった。

世界を意識したのは、支援学校の先輩が出場した1988年ソウル大会。いつしか、「パラリンピックを障害者としての歩みの総決算にしたい」と願うようになった。

38歳で初出場した2000年シドニー大会で銅メダルを獲得したが、収穫は結果以外にもあった。「もし生まれ変わったら、全盲と車いす、どっちの障害がいいと思う?」

選手村で、車いすマラソンの女子選手とかわした会話は今も忘れられない。それぞれ異なる障害があった2人だが、意見は一致していた。「今の自分と同じ障害が良い」。ハンディを受け入れている自分に気付いた。

帰国後、妻の愛(ちか)さん(48)と知り合い、04年に結婚。同年アテネ大会の開会式では日本選手団の旗手を務め、全身全霊で妻にメッセージを届けた。「障害者の妻であることを引け目に感じてほしくない」

その後はライバル選手の台頭もあり、代表から遠ざかった。「これで最後」と臨んだ16年リオデジャネイロ大会の代表選考会も不運のけがで涙をのんだ。

自国開催となった東京大会でつかんだ4大会ぶりの切符。気づけば還暦の一歩手前になったが、練習量は30代の時より増えている。今も戦い続ける理由は、長女の涼さん(16)、長男の瑛太さん(14)の存在だ。「ドライブもキャッチボールもしてやれなかったけど、自慢の父親になりたい」。その一心で体に鞭を打ち続ける。

この1年は新型コロナウイルスの影響で、練習場所の確保がままならないこともあった。自宅にこもって鍛錬を続ける父を思い、瑛太さんが「気晴らしになれば」と公園にトレーニングに連れ出してくれたこともある。支えてくれた家族に伝えたいのは、柔道家として、父としての生きざまだ。「最後まで戦い続ける父親の背中を見せたい」。29日の出番を静かに待つ。(花輪理徳)

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