旗手の谷真海「限界に挑む」 4度目の夢舞台

谷真海=2021年4月、広島県廿日市市
谷真海=2021年4月、広島県廿日市市

「夢のよう。感謝の気持ちをもって務めたい」。旗手という大役を前に、トライアスロンの谷真海(39)は胸を弾ませた。2004年アテネ大会から3大会連続で陸上走り幅跳びで出場。パラトライアスロンに転向した今回は2大会ぶりの夢舞台だ。

2013年9月7日。ブエノスアイレスで開催された国際オリンピック委員会(IOC)総会で大会招致の最終プレゼンターを担った。早大2年時に骨肉腫が見つかった右足膝下を切断。3度目の出場となった12年ロンドン大会の前年には故郷の宮城・気仙沼が東日本大震災で大きな被害を受けた。総会では、逆境時にいつも背中を押してくれた「スポーツの力」を訴え自国開催を勝ち取った。

ロンドン大会で感動した満員のスタジアムを夢見てきたが、新型コロナウイルス禍でアスリートを取り巻く環境は激変、「思い描いていたものとは随分と違う」大会になった。「スポーツの力という言葉を使うこともはばかられ、その価値を見失いそうになった」。それでも、「失ったものを嘆くのではなく、持っているものをいかに高めていくか。パラリンピックには社会を変える力がある」と開催の意義を信じて疑わなかった。

一度は自身の障害クラスが実施種目から除外され、人知れず泣いた。仕事に家事、育児と4足のわらじを履いた競技人生。1年延期が決まったときには「もう無理かも」と心が折れかけた。招致活動で知り合った夫の昭輝さん(40)、15年に出産した長男の海杜(かいと)君(6)と苦難を乗り越え、たどりついた。

大会前には地元の同級生や東京の仲間から続々と応援メッセージが舞い込んだ。「無観客になったけど、アスリートが限界に挑戦する姿を届け、自分も大会を楽しみたい」。トレードマークの笑顔で日本選手団を先導した。(田中充)

会員限定記事会員サービス詳細