勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(295)

ガラスの怪人 ケガに泣かされ続けた1年

三振し、バットを放り投げるブーマー
三振し、バットを放り投げるブーマー

■勇者の物語(294)

入団2年目の昭和59年シーズン、打率・355、本塁打37本、130打点で三冠王に輝き、阪急優勝の立役者になったブーマーだが、1年目の58年はケガに泣かされっぱなし。

キャンプ中の「左足付け根痛」に始まり、「腰痛」「右ひざ関節炎」「左手親指捻挫」「右手親指打撲」。ついに〝ガラスの怪人〟と呼ばれた。

開幕前、「4番はブーマーで決まりや」と上田監督から太鼓判を押された打順もどんどん下がり、5月12日の西武戦(平和台)では「7番・一塁」。その試合でまたしても〝悪夢〟が―。

◇5月12日 平和台球場

西武 022 720 010=14

阪急 010 121 112=9

(勝)松沼兄3勝2敗 〔敗〕山沖2勝3敗

(S)小林2勝1S

(本)田淵⑥(山沖)テリー⑫(山沖)⑬(松本)石毛③(宮本)片平③(松本)福本④(松沼兄)米村①(小林)

なんとか調子を上げたいブーマーは、試合前に200本の特打ちを志願して試合に臨んだ。その甲斐あって五回、先頭で2本目のヒットを左前に放った。

試合はすでに2―13。勝負はついている。だが、ブーマーは果敢に二塁を狙ってスライディング(二塁打)。初めはベース上でなんのそぶりも見せなかったブーマーだが、1死後、小林の打席で「タイム」。足を引きずりながらベンチに戻ってきた。二塁に滑り込んだ際に「腰をひねった」という。すぐさま福岡市内の病院へ。診断は「腰部捻挫」で全治1週間。

「もう、あんなケガが多いのは使わんぞ、士気にも影響するわ! 米村を使うわ!」

6度目の故障欠場に、上田監督の堪忍袋の緒も切れてしまった。

苦悩する怪人…。筆者がブーマーに初めて出会ったのはそんな頃だった。2軍で調整中だったのか、練習帰り、ユニホームのズボンのポケットにバットを突っ込み、西宮球場のバンク下の隙間から「競輪」をのぞいていた。

「お客さん、たくさんね。野球、少ない。どうして? わからない」

ブーマーの質問に答えるだけの語学力が筆者になかった。

「ミー・ツー(オレもそう思う)」

ブーマーは寂しそうに笑っていた。(敬称略)

■勇者の物語(296)