日曜に書く

論説委員・川瀬弘至 自衛隊員は参拝できない?

沖縄の一部の「反戦」に、戸惑うことがしばしばある。2カ月前の6月23日、沖縄戦の終結から76年となる「慰霊の日」もそうだった。

同日早朝、那覇駐屯の陸上自衛隊第15旅団の有志が、沖縄県糸満市の平和祈念公園にある黎明之塔(れいめいのとう)などを自主参拝すると知って取材した。

沖縄戦で自決した守備軍最高指揮官、牛島満第32軍司令官と長勇(ちょう・いさむ)参謀長を祀(まつ)る黎明之塔は、沖縄戦最後の激戦地である摩文仁(まぶに)の丘の頂上に建つ。夜明け前の真っ暗な坂道を上り、到着したのは午前4時40分ごろ、すでに20人ほどの地元記者やカメラマンらが集まっていた。

10分ほどして、第15旅団の佐藤真(まこと)旅団長と旅団司令部の総務課長、最先任上級曹長の3人が姿をみせ、献花台に生花をたむけて黙禱(もくとう)した。

とたんに無数のフラッシュがたかれ、静寂な暗闇を切り裂く。佐藤旅団長らは頭を上げ、足早にその場を離れた。

地元メディアが問題視

「慰霊の日」に旅団長らが摩文仁の丘を参拝するのは長年の恒例行事だ。希望者による私的参拝で、黎明之塔のほか一般戦没者を追悼する「しづたまの碑」、殉職した県職員を悼む「島守之塔」を巡り、深い祈りをささげる。

公務に支障がないよう未明に行っているため、誰にとやかく言われるものではない。だが、数年前から地元メディアが取り上げ、「旧日本軍を顕彰する集団参拝」などと問題視するようになった。

約30人が参加した昨年も、地元記者らが佐藤旅団長に「住民を守らなかった日本軍を顕彰するのはなぜか」と質問し、佐藤旅団長は「答えなかった」と、地元紙が書いている。

ひどい質問だ。

筆者が今回、取材しようと思ったのも右の記事を読んだからである。どんなやり取りが行われるのか、気が気でなかった。

夜明け前の糾弾

果たして、想像以上だった。

摩文仁の丘を下りる佐藤旅団長を地元記者らが追いかけ、次々と質問をぶつけた。

「県民は旧軍と自衛隊に複雑な思いを持っていますが、どう思いますか?」「自衛隊が旧軍を顕彰することには批判がありますが、いかがですか?」…

夜明け前の坂道に響く喧噪(けんそう)。質問というより糾弾である。同行した隊員が「危ないですから間隔をあけてください」と繰り返し注意するのも聞かず、記者らは佐藤旅団長に詰め寄り、あるいは先回りして正面からフラッシュを浴びせた。

今回の参加者は3人にすぎない。地元メディアを刺激しないよう、多くの隊員が参拝を見合わせたからだ。それでも一部メディアは「集団参拝で旧軍を顕彰」しているとした。

佐藤旅団長が「私的に参拝しています」「沖縄戦で亡くなられた全ての方の冥福を祈るという思いです」と質問に答えても、聞く耳はなかった。

「必ず沖縄を守る」

沖縄の本土復帰を機に自衛隊が駐屯し、今年で50年目となる。この間、自衛隊は危険な不発弾処理や離島の緊急患者搬送など沖縄の安全に尽くしてきた。新型コロナウイルス対策でも災害派遣を重ね、今月も看護官を派遣したばかりだ。

筆者の知る限り、多くの県民は自衛隊の日々の活動に感謝している。

だが、一部の人たちは「複雑な思い」を持ち、それを県民に広げようとしている。

今回の参拝にも一部の「平和」団体が佐藤旅団長に対し、「皇軍を顕彰する政治的行為」だと抗議文を送った。日ごろ護憲を訴えている人たちである。その憲法は思想・信条と信教の自由をうたう。彼らの護憲とはいったい何なのか。

中国が海洋覇権の野望をたくましくし、尖閣諸島をはじめ沖縄の海にも危険が迫ろうとしている。そんな中、摩文仁の丘を参拝する隊員有志の思いは何か。関係者によればただひとつ、「何があっても必ず沖縄を守ります」―だ。

しかし、固い決意をこめた祈りは、仮借ないフラッシュと心ない質問でかき乱された。摩文仁の丘に眠る御霊(みたま)たちは、どう感じただろう。

取材後、やりきれない思いで車に乗り、支局のある那覇市へ向けて走らせると、夜が白々と明けてきた。

カーラジオのニュースが告げた。

「慰霊の日のきょう、沖縄は静かな祈りに包まれます」

(かわせ ひろゆき)