夏の甲子園(全国高校野球選手権大会)で、東北学院が2回戦以降の出場を辞退した。
1回戦勝利の後に、選手1人の新型コロナウイルス感染が判明し、3選手が濃厚接触者とされていた。新型コロナによる出場辞退は宮崎商に次いで2校目だが、13人が感染した宮崎商とは違い、東北学院は2回戦に臨むことが不可能ではなかった。
阿部恒幸校長は「出場すれば感染者、濃厚接触者の特定につながる恐れがあり、選手の将来に影響を及ぼす可能性がある」と出場辞退を決断した理由を説明した。
何という悲しい理由だろう。
コロナに感染した選手に、心無い誹謗(ひぼう)中傷や偏見、差別が向けられ、将来にまで悪影響を及ぼすことを、強く危惧しなければならなかったのだ。
球児の夢を断ったのはウイルスではなく、社会から感染者に向けられる「悪意」である。この現実から目を背けてはなるまい。
新型コロナ禍が国内で深刻化してから1年半になる。この間、新型コロナに関連して表出した醜い誹謗中傷や偏見、差別は数えきれない。こうした悪意の多くは、最も苦しんでいる感染者や、最前線でウイルスと戦っている医療従事者に向けられた。
感染者の個人情報がネット上などで暴かれる事例は、後を絶たない。生徒や学生の集団感染を出した学校が、理不尽な抗議や嫌がらせを受ける事例も相次いだ。
ウイルスに対する恐怖心、自粛生活の長期化で蓄積した鬱屈が攻撃的な悪意に転じたのだろう。だが、感染者や医療従事者に対する理不尽な仕打ちは、コロナとの戦いと社会経済活動の回復を妨げる要因にしかならない。
東北学院の出場辞退は、生徒を悪意から守るための苦渋の決断であろう。ただし、これで悪意が止まるとは考えられない。出場辞退となったことで、感染した選手に向けられる悪意が、さらに強くなる可能性もある。
感染者や学校だけで解決できる問題ではない。
コロナ禍で表出した悪意に限らず、差別や偏見は誰もが被害者にも加害者にもなりうる。
一人一人が当事者意識を持ち、新型コロナウイルスと戦っている感染者と医療従事者を、理不尽な悪意から徹底的に守り抜く。その覚悟を持たなければならない。