勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(293)

ミズマー現る 「打点王」に輝いた背番号4

本拠地での開幕戦で3号ホーマーを放ち、山田(右)とファンの声援に応える水谷
本拠地での開幕戦で3号ホーマーを放ち、山田(右)とファンの声援に応える水谷

■勇者の物語(292)

「広島を出るのはつらい。でも、阪急には期待されて行くんだし、残り少ない野球人生で精いっぱいの仕事がしたい」

昭和57年オフ、水谷はこう言って阪急に移籍してきた。当初、球団は背番号を加藤英のつけていた「10」にする予定だった。だが、水谷は「阪急の〝10〟は加藤が築き上げた番号。オレにはつけられない」と広島時代の「4」を選んだ。

58年シーズン、背番号「4」は大きく輝いた。開幕3戦目の近鉄戦2回戦(日生)で水谷は久保から1号、2号と2打席連続ホーマーを放った。そして―。

◇4月16日 西宮球場

南海 000 000 010=1

阪急 000 005 00×=5

(勝)山田1勝1敗 〔敗〕藤田学1勝1敗

(本)水谷③(藤田学)松永②(藤田学)小林①(藤田学)

本拠地での〝開幕試合〟。エース山田が六回まで南海打線を2安打に封じ込む。均衡を破ったのは水谷のバットだ。

六回裏、2死から簑田、ブーマーの連打で一、二塁のチャンスをつかむと、「指名打者」で5番に入っていた水谷が、先発・藤田学から左中間スタンドへ3号3ラン。これで開幕5試合、18打数7安打の打率・389、3本塁打、7打点と大暴れ。ついたニックネームが「ミズマー」だ。

「こんな快ペースは初めてじゃ。けど、油断したらいけん。まだ、オレ本来の構えができとらん」

〝勇者の水〟がよほど合っていたのだろう。実は水谷と阪急にはちょっとした〝因縁〟があった。

水谷実雄、22年11月19日生まれ、宮崎県出身。40年の第1回ドラフトで「投手」として宮崎商から4位指名で広島に入団。だが、肩を壊し1年目のオフに「野手」に転向。芽が出ずに2軍暮らしが続いていた。そんな水谷を鍛えたのが当時、1軍打撃コーチを務めていた上田利治。そして阪急との2軍戦でバックスクリーンへの3発を含む1試合4本塁打を放ち、1軍定着へのきっかけをつかんだのだ。

58年シーズン、膝の具合がおもわしくないブーマーに代わって、4月22日の西武戦から「4番」を務めた水谷は、自身初の130全試合出場を果たし、打率・290、36本塁打、114打点で「打点王」に輝いたのである。(敬称略)

■勇者の物語(294)