「Together」という新概念生み出した東京五輪 広告界の革命児が総括

東京五輪の意義などについて語る「The Breakthrough Company GO」のクリエイティブディレクター、三浦崇宏さん
東京五輪の意義などについて語る「The Breakthrough Company GO」のクリエイティブディレクター、三浦崇宏さん

東京五輪とは何だったのか。新型コロナウイルス禍で無観客で行われた大会は、日本勢のメダルラッシュもあって列島を興奮に包みこんだ。一方で、大会組織委員会トップや開会式の演出チームが不適切な発言などで開幕前に相次いで辞任。式典に対しては「意味不明」「史上最低」という厳しい声も上がった。今回の五輪の歴史的意義などについて「広告界の革命児」と呼ばれる「The Breakthrough Company GO」のクリエイティブディレクター、三浦崇宏さん(37)に聞いた。

消えるナショナリズム

東京五輪の最も大きな歴史的意義は、五輪が国家によるナショナリズムの表象から、アスリート個人の連帯に変わったことだと考えています。

これまでの五輪は基本的に、ナショナリズムを強化する装置でした。代表を応援することで国民が一体化する。あらゆる国にとって、愛国心が強いほうが統治しやすくなります。各国は大会を運営し、その後の国家運営を楽にしているという側面がありました。今回の大会では、その仕組み自体が20世紀の遺産に過ぎなかったということが明らかになったと思います。

それをもたらした一つの要因は、無観客であったことです。今までの大会では、観客が「ニッポン、チャチャチャ!」と国名をコールし、選手が応えることで国民が一体化してきました。だけど、今回はナショナリズムをより強く錯覚するための手段であった声援がありませんでした。

東京五輪で新競技となったスケートボードには、脱ナショナリズムの現象がより象徴的に表れていました。選手の多くが、周囲の音を小さくするノイズキャンセリングイヤホン「AirPods」をつけて競技を行っていました。彼ら、彼女たちは、自分の世界と目の前にいる競技仲間と一緒に滑ることに集中していたんです。そこには、「声援を受けて国民の皆さまのために頑張りました」というナショナリズムの高揚という概念はありませんでした。

大変化の契機に

これは僕の先輩である佐藤夏生さんというクリエーティブディレクターが言っていたことですが、五輪のモットーである「Faster Higher Stronger(より速く、より高く、より強く)」に、「Together(ともに)」がTOKYO2020から新たに加わったことが象徴的でした。

五輪からナショナリズム強化の要素がなくなり、一際光ったのが「Together」なんです。今回の大会では、国と国の競い合いではなく、個人個人が競技を通じて、手を取り合うことが表現されていました。

東京五輪のスケートボード女子パーク決勝で最終演技に失敗した岡本碧優選手だが、他国の選手に担ぎ上げられて称賛された=4日、有明アーバンスポーツパーク
東京五輪のスケートボード女子パーク決勝で最終演技に失敗した岡本碧優選手だが、他国の選手に担ぎ上げられて称賛された=4日、有明アーバンスポーツパーク

例えば、スケートボードの女子パークでは、岡本碧優(みすぐ)選手が最終演技で転倒した後、ほかの国の選手たちが岡本選手を担ぎ上げて称賛する光景が見られました。ほかにも、陸上の男子走り高跳びでは、イタリアとカタールの選手が優勝決定戦を行わずに、大会側に提案して2人で金メダルを分け合うということもありました。

メダリストの表情にも脱ナショナリズムを感じました。国を背負わされているという重圧ではなく、自分のために頑張っていい成果を出して、いい意味でヘラヘラと笑っていました。負けて泣いているアスリートも少し減って、それよりも、負けても笑っていられる選手も見受けられました。選手一人一人が国や立場を超えて連帯し、自分たちの人生を楽しむという「Together」という概念を示せたのは、今回の五輪の最も素晴らしいところだと思います。

ナチスドイツ時代のベルリン大会から始まったナショナリズムの装置としての五輪は、今大会を通じてその性質を大きく変えました。東京五輪が世界の大きな変化のきっかけとなったことを、僕たちは誇るべきだし、喜んでもいいのではないでしょうか。

新たな国際的モラル欠如

もちろん批判するべきところもいくつかあります。

その一つは開会式をめぐる問題です。担当者が次々に不祥事で辞任して混乱し、その結果として出来上がったものはクオリティーの低いものでした。もちろんコロナや度重なる人事の問題を乗り越えてこの状況下で実現した現場の方々の努力には頭が下がります。でも、だからこそ批評しなくてはいけない。

最大の課題は、グローバルスタンダードの新しいモラルが、日本の偉い人たちにインストールされていなかったことにあります。例えば、ジェンダーは平等にしないといけない、ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を揶揄(やゆ)することはいけないという今の国際社会では当たり前になっている人権についての考え方です。それが、大会組織委員会、JOC(日本オリンピック委員会)、電通などの幹部に共有されていなかったことが最大の問題だと考えています。

昔とは国際的な人権についての捉え方のルールが変わっています。アメリカやEUなどと連携して、日本として人権や人間のあるべき姿について偉い人たちも学び直すべきでした。これは日本全体の課題です。ある一定の年齢層以上で立場のある人間がそういった感覚を持てていないことが、オリンピックというグローバルなイベントで明らかになってしまいました。

開会式が不評な理由

東京五輪の開会式を見て、大会のコンセプトが「復興五輪」なのか、「Together」なのか、「東京という文化」なのか、よく分かりませんでした。それは皮肉にもクリエーティブディレクターがいなかったからです。

式典の企画・演出を行うチームには元々、2人のクリエーティブディレクターがいました。いずれも電通の菅野薫さんと佐々木宏さんです。菅野さんは電通内の問題で辞任し、佐々木さんは式典に出演予定だったタレントの容姿を侮辱するような内容の演出提案をしたことが週刊誌にリークされて辞め、後任は置かれませんでした。

東京五輪の開会式で披露された木遣り唄=7月23日、国立競技場(撮影・松永渉平)
東京五輪の開会式で披露された木遣り唄=7月23日、国立競技場(撮影・松永渉平)

クリエーティブディレクターはコンセプトを決めて、それを表現するストーリーを作ります。仮に「Together」がテーマだとすると、「最後に聖火が灯った後に、みんなで(催し物の)火消しをやりましょう。今回は『Together』がテーマだから、10人ぐらいのアスリートでやりましょう」というような感じです。テーマに沿ってストーリーを決める係がいなかったから、それぞれの演目がつながらず、チグハグに見えたんです。過去の担当者の言動は問題ですが、クリエーティブディレクターという存在は絶対に必要でした。

新しいレガシーとは?

今回の五輪で「Together」という概念が五輪に加わりました。このことが日本から象徴的に生まれたわけで、勝った人も負けた人も競技を楽しみ合ったり、仲間と一緒に喜ぶ姿を見て日本人の意識も変わったと思います。一方で、モラルの足りない権力者によってすごく恥ずかしく、悔しい思いをしました。

新たな概念の誕生と、自分たちの世代ではやりきれなかったという悔しさが、東京五輪の大きなレガシーだと感じています。そのレガシーを運用し、20~30代、もしかしたら10代の人々が、未来に向かってより素晴らしいものを作っていけるきっかけにしなければいけないと思います。(聞き手 森本昌彦)

みうら・たかひろ 昭和58年、東京都生まれ。早稲田大学卒業後、博報堂に入社。平成29年に独立し、「The Breakthrough Company GO」を設立し、同社の代表、PR/クリエイティブディレクターを務めている。著書に「超クリエイティブ 『発想』×『実装』で現実を動かす」(文芸春秋)や「『何者』かになりたい 自分のストーリーを生きる」(集英社)など。

東京五輪の意義などについて語る「The Breakthrough Company GO」のクリエイティブディレクター、三浦崇宏さん
東京五輪の意義などについて語る「The Breakthrough Company GO」のクリエイティブディレクター、三浦崇宏さん

会員限定記事会員サービス詳細