東京パラ 超える

戦えること 伝えていく

支える側から競技者に転身したテコンドーの田中光哉=昨年2月、横浜市(佐藤徳昭撮影)
支える側から競技者に転身したテコンドーの田中光哉=昨年2月、横浜市(佐藤徳昭撮影)

前回リオデジャネイロ・パラリンピック当時は、東京都障害者スポーツ協会の職員だった。イベントの企画や運営、選手の発掘事業に携わる中、ハンディをものともせずに奮闘するメダリストの姿はまぶしく映った。「自分もアスリートとしてチャレンジしたい」と一念発起してから4年。テコンドー男子61キロ級の田中光哉(みつや)(29)は裏方から競技者へと立場を変え、東京パラリンピックに臨む。

生まれつき両腕に障害があり、右手の指は1本、左手は3本しかない。ただ、小中高は健常者と一緒に学び、サッカーに熱中。高校では県大会ベスト8の実績を誇った。「サッカーのおかげで、自分を障害者だとあまり思うことなく過ごしていた」と振り返る。

人生変えた豪州留学

一方で、周囲の態度から障害者であるという現実を直視させられることも少なくなかった。自身の指に突き刺さる子供の視線。それに気づいた母親が慌てて手で遮る-。電車内で幾度となく遭遇した場面だ。

障害を受け入れられるようになったのは、大学時代に経験した1年間のオーストラリア留学が大きい。体育館ではフットサルに興じる自身の傍らで、障害のある人が日常的に車いすバスケットボールを楽しむ姿があった。障害をさらけ出せる居心地の良い空間を目の当たりにし「日本にはあまりない光景。何が違うんだろう」。自問自答を繰り返した末、障害者スポーツの道に進もうと決意した。

2016年リオ大会後、東京都障害者スポーツ協会の職員として、メダリストの学校訪問に同行したことが転機となった。子供と交流するアスリートは「キラキラと輝いて見えた」。東京大会で新たに採用されるテコンドーが、選手の発掘と強化に乗り出していると知ったのはちょうどその頃。「サッカーと同じ足で蹴る競技なら、東京を狙えるのでは」。裏方から表舞台で輝くアスリートへ。異例の転身だった。

練習に励むテコンドーの田中光哉。長いリーチを生かした蹴りを武器に、競技歴3年でパラリンピック出場を決めた=昨年2月、横浜市(佐藤徳昭撮影)
練習に励むテコンドーの田中光哉。長いリーチを生かした蹴りを武器に、競技歴3年でパラリンピック出場を決めた=昨年2月、横浜市(佐藤徳昭撮影)

もっとも、当初は見通しの甘さを痛感した。相手の胴体を狙い、足を高く上げて蹴り技を繰り出すテコンドー。「サッカーはおなかの位置でボールを蹴ることはない。足を使う競技でも全然違った」。2年ほどは基礎練習を徹底。足の裏の皮がむけ、マットは血だらけになった。

競技歴わずか3年

長いリーチから繰り出す蹴りを武器に急成長。昨年1月の代表選考会で有力選手を破り、東京パラ大会の代表に内定した。競技歴わずか3年での快挙に「負けず嫌いな性格が上達につながった」と笑う。

障害のある選手同士がフルコンタクトで戦うテコンドーは「パラスポーツの中でも異種的なところがある。見てくださる人がどう捉えるか分からないが、びっくりされるかもしれない」。東京ではむしろ、そこを見てほしい。

かつては「障害者」として扱われることに違和感があった。誤解を恐れずに言えば「自分はこっち側(健常者)だという認識がどこかにあった」。だが、今は違う。「自分が小さいころにはパラアスリートという存在がいなかった。そういう世界を知っていたら、もっと強がらずに生きていたのかな」と想像する。

東京で目指すのは、テコンドーの初代金メダリストだけにとどまらない。「障害があっても戦える、強い気持ちを持てるんだということを伝えていく。それもパラリンピアンの一つの役割だと思う」。世界を相手に戦う姿が、同じように障害のある子供や家族へのエールになると信じている。(小川原咲)


たなか・みつや

平成4年生まれ、福岡県久留米市出身。ブリストル・マイヤーズスクイブ所属。先天性の両上肢尺側欠損障害で生まれ、小学校から大学までサッカーに熱中。平成29年、横浜市に本部道場を置く「洪人館」でテコンドーを始め、東京パラの代表選考会を兼ねた昨年1月のサンマリエ・カップ男子61キロ級で優勝。競技歴わずか3年で大舞台の切符を獲得した。障害の程度は2番目に軽いK43クラス。


テコンドー

2009年に世界選手権が初開催され、今大会で初めてパラリンピックに採用された。知的障害や視覚障害などの選手が競う「型」と、主に上肢障害の選手がフルコンタクトで戦う「組手」がある。今大会では障害の程度が最も軽い「K44クラス」に統一し、組手の男女各3階級を実施。競技は9月2~4日、千葉市の幕張メッセで行われる。

東京パラリンピック企画「超える」

「車いすに乗っていることは言い訳にならない」。人々を隔てる「障害」なき、パラスポーツの世界。それを体現してきたアーチェリー選手としてパラリンピックへの思いを語る。

会員限定記事会員サービス詳細