【話の肖像画】評論家・石平(59)(17)「天安門事件」批判忌避の反日・愛国 - 産経ニュース

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評論家・石平(59)(17)「天安門事件」批判忌避の反日・愛国

民間の研究機関時代、京セラ創業者の稲盛和夫氏の通訳を務める
民間の研究機関時代、京セラ創業者の稲盛和夫氏の通訳を務める

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《天安門事件(1989年)によって、母国・中国との決別を決意。日本に残って神戸大学大学院で研究生活を続けた》


天安門事件は、僕の心を破壊してしまった。あの晩から世の中が変わったのです。中国には、母親と妹を残していたのですが、会うことはかないません。僕が大阪の中国領事館前で座り込みをしていたとき、首相の李鵬(り・ほう)を揶揄(やゆ)するような絵を持っているところを写真に撮られたので、身の危険を感じていたこともあります。

その後、(中国共産党機関紙の)人民日報が、海外の留学生の行動については「不問に付す」という記事を載せたので、91年になってようやく郷里に帰ることができましたが…。


《神戸大学大学院には修士・博士課程合わせて6年間在籍。修了間際の95年1月、阪神大震災が発生する》


僕は芦屋市(兵庫県)の文化住宅に住んでいたのですが、その日はたまたま、大阪の知人宅へ泊まりに行っていたので、被害からは免れました。翌日、戻ってみたら、住宅は半壊。部屋の中は、僕がいつも寝ている場所に、本棚が倒れていました。もしも、そこにいたら直撃だったでしょうね。危ういところでした。


《同じ95年、大学院を出て、中国関係の仕事をしていた京都市内の民間の研究機関に勤め始める》


留学生時代にそこで通訳のアルバイトをしたことがあり、誘われたのです。すると今度は、そこの仕事でたびたび、中国へ出張する機会が増えました。

そうして中国を訪れたとき、僕は突然、北京の公安当局から呼び出しを受けました。「不問に付す」と言いながら、公安当局は海外留学生の名簿を入手していた。抗議活動を行った幹部の一人として僕の名前が名簿に出ていたのです。

「このまま拘束されるのではないか」とさすがに恐怖心を感じましたが、調べは、ごくあっさりしたものでした。そのとき僕がすでに民間の研究機関に就職しており、〝まっとうな仕事〟に就いていると判断されたのでしょうね。公安当局から呼び出しを受けたのはこのとき1度だけです。


《そのころ中国では大きな変化が起きていた。80年代の「親日ムード」はすっかり影を潜め、鄧小平(とう・しょうへい)氏の後を引き継いだ江沢民(こう・たくみん)政権によって、「愛国」「反日」の動きが再び活発になっていた》


明らかに、天安門事件への批判から国民の目をそらすのが目的でした。

本や新聞、放送、映像などあらゆるメディアや学校教育などを通じて、ありえないような「反日」宣伝が行われました。「日本は再軍備を急ぎ、中国を侵略するつもりだ」とか、先の大戦中、日本軍が中国人民に対して、残虐非道な行いをした…とか、まったく荒唐無稽な内容なのですが、徹底的にやるので信じ込まされてしまう。

驚いたのは、かつて一緒に民主化運動をやった友人らの豹変(ひょうへん)ぶりです。中国へ行って久しぶりに会った彼らは共産党への批判は忘れて、感情的な「反日」に取りつかれていた。そして改革開放政策によって政治より〝カネもうけ〟が関心事に変わっていたのです。(聞き手 喜多由浩)

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