朝晴れエッセー

昭和26年の往復書簡・8月18日

姉が実家で見つけた箱の中に残されていたのは、母と、今は亡き父との手紙の束だった。

昭和26年6月に縁あって見合いをし、10月に結婚。その間の約4カ月間の26通、2人ともが大切に取っていたからこそ往復書簡で残っていたのだろう。

1通目は父から。時候の挨拶をし、見合いをお世話してくださった方に感謝を述べ、もてなしに礼を言い、母に、手紙を通してよりお互いを知りたいと送っている。

母は広島、父は大阪、電話もメールもない時代に、手紙は相手と自分をつなぐたった一つの手段だったのだろう。

その中で「見合いをすればすべてをお仲人さんにお任せするものだとは思いますが、今の世の中、我々若い者が直接お手紙をやり取りするくらいの反抗は許されると思います」とあり、くすりと笑ってしまった。

父と母の手紙は、どちらも便箋にインク、丁寧な文字と言葉遣いで、相手と周りの人に対する気遣いにあふれ、自分自身のことはいつも少し謙遜気味。

でも、住宅事情の悪かったこの当時に堺で何とか母と住むための家を見つけたときだけは、父はやや誇らしげに母に報告している。

戦時中は勤労女学生、志半ばでの学徒出陣など苦労をした2人が、戦後、生活の基礎を築き、往復書簡で少しずつ親しくなりながら、結納、新居への荷出し、式場や披露宴の手配、新婚旅行の時程の確認など、生き生きと未来への人生設計を語り合う。

この時代の復興とも重なる前向きな2人の姿に胸が熱くなった。

定愛子 (66) 堺市南区