朝晴れエッセー

曽祖母の50回忌・8月17日

今年は曽祖母の50回忌にあたる。

昭和20年3月10日の東京大空襲で夫と娘、孫1人を亡くし、残された小学生2人の孫の伯父と父を61歳から育てた。

戦後、わずかな土地や家作の上がりで生計を立てる傍ら、孫たちに思い切り菓子を食べさせてやりたいと、練炭や薪も扱う駄菓子屋を始めた。

そんな「おばあちゃん」らしい顔ものぞかせる一方、教育熱心だった亡き娘の遺志を継ぎ、必ず孫たちを思う大学へ進学させるんだと、強い信念を抱いていたという。

嫁いできた母にも、乳飲児だった私たちを寝かしつけているときでさえ「国会中継が始まったから見なさい」と声をかけたという。

冬になると、「洗い物に使いなさい」と火をおこし、湯を沸かしてくれたのがうれしかったと目を細める母。

20歳になり、たばこを吸っていると「あの子が不良になってしまいました」と仏壇に手を合わせて報告していたと苦笑いする父。

告別式の日、3歳だった私にも覚えていることがある。たくさんもらったキャラメルの甘い喜びと、初めての火葬場の鮮烈な記憶だ。お骨を見た係の方が、「このお歳(87歳)でこれほどしっかりと焼け残られるのは珍しい。お相撲さん並みです」と驚かれた。

骨太。それは心願成就させ、戦後をたくましく生き抜いた曽祖母の芯の強さに重なる気がする。

おばあちゃんの孫は、84歳と82歳になりました。


吉野薫子(53) 東京都練馬区