話の肖像画

評論家・石平(59)(15)司馬作品の日本人に魅せられて

神戸大学大学院時代
神戸大学大学院時代

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《1988年、同郷の友人に誘われて留学に行った日本での生活は、カルチャーショックの連続だった》


日本人は、電車の中や街角で(中国人のように)大声を出したりしない。区役所では、中国の公安局でパスポートを申請したときのように役人から冷たい目で見られることもなく、笑顔で素早く対応してくれる、賄賂も必要ない。何より、僕のような貧乏留学生に対しても丁寧に接してくれる。料理もおいしい。

日給がよかった引っ越しのアルバイトをしたことが何度かあるのですが、あるとき、僕が重い家具を持てずにへたり込んでしまいました。本当に疲れ切ってしまい、これ以上、どうしても体が動かない…。さすがに、リーダー役の日本人男性に厳しく怒られました。でも、彼はその後、アルバイト代はちゃんと払ってくれたし、「もういいから今日は帰りなさい」と言ってくれたのです。


《89年、日本語学校を出て、今度は、神戸大学大学院文化学研究科の修士課程に入った》


最初の1年間は、私費留学生です。でも、2年目からは、国費による文部省(当時)の留学生になることができました。この待遇がとても手厚い。学費の全額免除はもちろんのこと、毎月の生活費として18万円プラス住居手当として1万円の計19万円が支給されます。それまで、日本語学校の学費(30万円強)を郷里の友人に借りた上、生活費は夜間のアルバイトで何とか稼いでいた僕にとっては大助かり。これで、勉強に集中することができるようになりました。

指導教官は2人。1人の先生は(ギリシャ)哲学、もう1人の先生が社会学です。留学生時代、大学の勉強はもちろんですが、本をむさぼるように読みました。とりわけ、気に入ったのが作家、司馬遼太郎さんの小説です。『翔(と)ぶが如(ごと)く』の西郷隆盛や、『坂の上の雲』の秋山好古(よしふる)、真之(さねゆき)兄弟などの人物像にすごくひかれましたね。

特に『坂の上の雲』で印象に残っているシーンがあります。進学のために故郷の松山から上京した真之は、ころがり込んだ好古の家で一緒に飯を食う。好古の家には茶碗(ちゃわん)がひとつしかなく、それを使って兄弟は代わる代わる、酒を飲んだり、飯を食ったりするのです。

好古は陸軍士官学校を出た将校ですから、おカネがないわけじゃない。だけど、清貧というか、あくまで質素な生活を貫く。大義のためには命を投げ出すこともいとわない…武士道の精神ですね。

小説を通じて、日本人の伝統的な精神に触れたことはとてもよい経験になりましたね。後に評論活動に入ったとき、僕が追い求める大事なテーマのひとつになっていったからです。

大学院時代の住居は、兵庫県芦屋市の文化住宅でした。そこから、丘の上にある神戸大学までは原付きバイクで通いました。住まいは本で埋め尽くされて、かろうじて僕の寝るスペースが残っているだけ。

中国には、母と妹がいましたが、しばらくは帰るつもりも、帰るおカネもありませんでした。


《大学院生活1年目の89年、中国から世界を震撼(しんかん)させる大ニュースが飛び込んできた。「天安門事件」である》(聞き手 喜多由浩)

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