話の肖像画

評論家・石平(59)(14)突然の留学、心に染みた日本人の優しさ

来日直後、アルバイト先のラーメン店で
来日直後、アルバイト先のラーメン店で

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《1984年に北京大学を卒業。決められた就職先(配置先)は故郷・四川(しせん)大学の講師だった》


当時の中国では、就職先は一応、希望は出せるものの、共産党によって決められます。出身地へ戻される学生が大半で、僕も四川大学の助教(助手)となって、専門の哲学を教えることとなりました。僕はそこでも民主化運動を続けます。安酒とつまみをぶら下げて、学生の宿舎へ出かけ、たびたび議論を吹っ掛けたのです。

ところが、ちょっとやり過ぎたのか、あるとき研究室の教授から注意を受けました。「キミの気持ちは理解できないわけじゃないが、オレ(教授)の立場もあるからやめてくれ」と。要は誰かに密告されたわけですよ。四川大学には88年までいました。


《そんな折、大阪大学大学院に留学していた郷里の親友から国際電話が。「当面の費用は用意するから日本へ来ないか」という突然の誘いだった》


一番の親友です。彼は北京の清華大学出身でした。僕の北京大学とは隣だから、大学の4年間は、しょっちゅう会っていた仲です。

ある日、僕が勤めていた四川大学の研究室に彼から電話が入り、留学を誘われたのです。日本の大衆文化に魅せられていた僕にとっては大歓迎。海外へ留学することはあこがれだったし、一度外に出て、資本主義、民主主義を体験してみたい気持ちも強かった。何より、学費を彼が貸してくれるというのだから、こんなありがたい話もありません。チャンスを逃したくないと思いました。