話の肖像画

評論家・石平(59)(14)突然の留学、心に染みた日本人の優しさ

早速、パスポートを取るために、公安局へ出かけたのですが、これが大変だった。まず、日本での留学先の証明書が必要。これは親友がやってくれたのですが、さらに政治審査に数カ月。この間、十数回も公安局へ通い、担当者の冷たい視線に耐えねばなりません。北京の日本大使館でビザをもらうのは1カ月くらいだったでしょうか。

僕の貯金では、用意できたのは日本へ向かう旅費がせいぜい。それも、「鑑真(がんじん)号」という上海と日本を結んでいた安い料金の船に乗るのが精いっぱいでした。生活費はアルバイトで稼ぐしかありません。幸いバブル景気の時代で、日本語ができない僕にも仕事はいくらでもありました。


《最初は大阪市内の日本語学校に通学。留学生を無料で住まわせてくれる住居も見つけた。夜は毎日、アルバイトの日々》


日本人は、みな親切で礼儀正しい。街は清潔で秩序が保たれていました。いろいろなアルバイトを経験しましたが、イヤな思いをしたり、差別されたり、と感じたことは一度もなかった。ホントですよ。

何より感動したのは、保証人になってくれた、大阪大学大学院にいる親友の同級生の両親に会いにいったときのことです。玄関を入ったとき、50代くらいの奥さんは正座して僕を迎えてくれた。日本語もまだろくにできない、えたいが知れない僕の保証人になってくれた上に、礼儀正しく、優しく、ていねいに接してくださった。独りで日本にやってきて将来も見えず、心細かった僕にとってどれほどうれしかったことか。思い出しても涙が出てきます。(聞き手 喜多由浩)

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