「戦争」問うBC級戦犯の遺書など保存 福岡・嘉麻市

便箋21枚にしたためられた藤中さんの遺書
便箋21枚にしたためられた藤中さんの遺書

便箋(びんせん)で際立つ「戦争絶対反対」「世界永遠の平和」の大きな文字-。福岡県嘉麻市出身の旧日本海軍1等兵曹、藤中松雄さんの遺書だ。先の大戦中、沖縄県・石垣島で米軍捕虜3人が処刑された「石垣島事件」でBC級戦犯に問われ、巣鴨プリズン(東京拘置所)で最後に死刑執行された一人。終戦から76年。同市碓井平和祈念館で保存される遺書は先の大戦とは何だったかを今も問い続ける。

41人に死刑の判決

藤中さんは福岡県の旧碓井町(現嘉麻市)で農業に従事した後、海軍に入隊。終戦直前は石垣島の警備に就いていた。石垣島事件は昭和19年4月15日に発生。撃墜した米軍機の捕虜3人を処刑することになり、藤中さんも最後の1人を銃剣で「刺突」した。藤中さんは終戦後の22年、突然米軍にBC級戦犯として逮捕された。

石垣島事件で米軍が横浜の軍事法廷に起訴したのは46人。上官の責任が曖昧(あいまい)で裁判は紛糾。判決では、41人に絞首刑を言い渡すという異常な裁判だった。当時の地元新聞には、処刑の残虐性とその後、遺骨を海にまくなどの証拠隠滅行為が問われた、と記し、41人の氏名を列記している。

減刑などで部隊の司令官など7人が処刑されることになり、その中に藤中さんもいた。巣鴨プリズンで一時同房だった元死刑囚の加藤哲太郎著「私は貝になりたい」によると、藤中さんは信仰心が厚く、読経をするのが日課だった。ただ、夜になると、水洗便所の水を流し「この音を聞くと故郷に帰ったような気分になる」と語り、自宅前を流れる遠賀川を懐かしんでいたという。

結局、巣鴨プリズンでの戦犯処刑は藤中さんらが最後となった。

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