【話の肖像画】評論家・石平(59)(12)北京大学で没頭した民主化運動(1/2ページ) - 産経ニュース

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評論家・石平(59)(12)北京大学で没頭した民主化運動

北京大学4年生のころ
北京大学4年生のころ

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《1976年の毛沢東主席の死によって約10年続いた文化大革命(文革)が終わり、77年からは大学志願者の統一入学試験も再開された》


大学入学を目指す者が受けなければならない統一試験です。僕は80年の7月に受験しました。ずっと試験が中止されていたので当時は、30代、40代の受験生や、父子一緒に受けた、なんてケースも珍しくありませんでしたね。

受験は文系と理系に分かれており、僕は文系を志望しましたが、(物理学者だった)父親に猛反対されました。というのも(文革のような)政治運動が起きると真っ先にターゲットとされるのは文系の学生だったからです。父はそのことを心配していました。結局、僕は、父の説得に従いませんでしたけど…。

文系の試験科目は、国語、数学、歴史、地理などでした。「政治」だけは文・理系ともに必ずある。要は、共産党の方針をどれだけ理解しているのか、を見られるわけです。だから、(共産党機関紙の)人民日報の社説などを懸命になって覚えましたよ。

試験の点数が出ると、3つまで志望大学を書いて提出します。僕は最難関の北京大学を志望し、入学を認められました。学部は哲学部。こちらは希望は出せず、大学側が決めるのですが、まったく不満はありません。その年、僕の学校から北京大学へ入学したのは僕ひとりだけでした。母校では僕の合格を知らせる張り紙が出されたり、親の親類にも伝わり、祝福されたことを覚えています。

当時、住んでいた成都から北京までは、列車で48時間かかりました。安い硬い座席で丸2日。初めて見る首都は、スケールが桁違い。見るもの、聞くもの、カルチャーショックの連続で。9月に入学、冬になって、池が凍るのも、雪が降るのを見たのも、北京が初めてでした。