東京五輪記者ノート

都民が体験できなかった「祭り」 多様性には希望

東京五輪の閉会式が行われている国立競技場周辺に集まった人たち=8日午後8時40分ごろ、東京都渋谷区(鴨川一也撮影)
東京五輪の閉会式が行われている国立競技場周辺に集まった人たち=8日午後8時40分ごろ、東京都渋谷区(鴨川一也撮影)

聖火が消え、選手らがいなくなった8日深夜の国立競技場。大会関係者らがグラウンドに降りて記念撮影を始め、場内は「コロナ禍の中でも東京五輪をやり切った」という充足感に満ちていた。しかし、会場を後にして厳重な警備の外に出ると、充足感は霧消した。午後11時を過ぎているにもかかわらず、多くの人が国立競技場の周囲にいた。むなしさがこみあげてきた。

東京五輪は本来なら、日本人にとってかつてない経験になる「祭り」のはずだった。だが会場に入れたのは大会関係者やメディア、ボランティアなどほんの一握り。ほとんどの人は直接体験することができないまま幕が閉じてしまった。それでも「多様性」がキーワードになっていたことには大きな意味がある。複雑な思いが交錯した。

観光起爆剤のはずが…

2019年ラグビーワールドカップ。東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県釜石市で開催された試合には、多くの市民の姿があった。スタジアム周辺は人々が津波で犠牲になった場所でもあり、開催に反対する人も少なくなかった。

それでも当日はスタジアム内外で大漁旗が振られ、この日を迎えられたことの喜びに満ちあふれていた。多くの海外メディアが釜石の被災と復興の軌跡を報じた。味の素スタジアム(調布市)での試合終了後は、電車内で外国人サポーターが勝利を喜んで大合唱。当時は驚いたが、今となっては貴重な体験だった。

東京五輪でも、トップ選手の試合を直接見て、感動し、海外からの観戦者とハイタッチして喜びを分かち合えていたかもしれない。観光客が会員制交流サイト(SNS)で「#ODAIBA」「#FUKUSHIMA」などとと発信し、日本観光の起爆剤にもなったはずだった。

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