話の肖像画

評論家・石平(59)(11)「毛主席の死」に号泣した日

少年時代は「毛主席の小戦士」だった。手にしているのは毛語録
少年時代は「毛主席の小戦士」だった。手にしているのは毛語録

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《1976年9月9日、中国の最高指導者たる毛沢東(主席)が病気で、死去した。82歳だった》


そのとき僕は中学生。両親が勤める四川の大学構内に住んでおり、「毛沢東の死」は、大学の有線放送によって知りました。覚えているのは、スピーカーから最初に革命歌のインターナショナルが流されたこと。これがあると、「重大発表」が行われることが多いのです。

中央ラジオ局のアナウンサーがまず、「共産党中央委員会が全国人民に告げる書」を読み上げることを知らせます。そして、9月9日何時何分、偉大な領袖(りょうしゅう)、毛沢東主席は病気で治療中だったが、その効果がなくなり、心臓が止まりました…といったような趣旨のことを読み上げた。放課後の時間帯で、僕は学校から大学構内へ帰っていた。

それを聞いた瞬間、僕は、自然に涙があふれてきて、わーっと号泣しました。天が落ちてきたとか、地球が滅亡したような衝撃です。とにかく当時の毛沢東は、「毛主席の小戦士」だった僕にとっても、全知全能の〝神以上〟の存在。人民のために尽くしてくれる偉大な指導者だと信じ込んでいたからです。

気がつくと、周囲の家からも泣き声が聞こえてくるではありませんか。一軒だけじゃない。すべての家です。全中国の人民が共産党の宣伝や教育によって洗脳されていました。

《すぐに「毛沢東の死」を悲しみ、追悼する動きが一斉に始まった》


翌朝、中学校へ登校したら、すでに学校の門が白い布で包まれ、追悼の準備が進んでいました。先生たちは一様に沈痛な表情をしたまま、白いシャツに黒の喪章をつけています。

僕の家でも、母親が家中を探して黒い布を見つけてきて、喪章を家族3人分、即製しました。喪章は、(両親の勤務先の)大学でも配られた。2、3日もしたら、周りはみんなそのスタイルになったと思います。そうしないと、どんな目に遭うか分かりません。というか、当時は多くの人が当たり前のように〝偉大な領袖〟の存在を信じていたのでしょう。その喪章は1カ月以上も、つけていたように思います。


《毛沢東主席の死後、夫人の江青(こうせい)ら、いわゆる「四人組」が逮捕され、中国を大混乱に陥れ、多くの人の命を奪った文化大革命(文革)は終わりを告げる。だが、文革を主導した毛沢東主席については、「四人組にそそのかされたため」とされ、あいまいな決着となった》