東京五輪記者ノート

東京音頭を踊った海外選手 「やり抜いた」に感銘

閉会式では「東京音頭」が披露され、見よう見まねで踊る海外選手の姿もみられた=8日、国立競技場(恵守乾撮影)
閉会式では「東京音頭」が披露され、見よう見まねで踊る海外選手の姿もみられた=8日、国立競技場(恵守乾撮影)

成功だったといえる大会になるのか-。連日さまざまな競技会場に足を運びながら、ずっと考えていた。「やってよかった」と初めて思えたのは、最終日の8日夜。国立競技場で行われた閉会式で流れた東京音頭に合わせ、海外選手が見よう見まねで踊る姿を見たときだった。

目と耳をこらして

新型コロナウイルスの影響で、大半の競技が無観客となった東京五輪。会場内で取材できるアクレディテーションカード(参加資格証)をもらったが、興奮し、熱狂する観衆はいない。「競技そのもの」を伝える運動部ではなく、社会部の記者としてどう報じるべきか。自問しながら、必死に目と耳をこらした。

延べ24会場で12競技を取材した。観客がいないからこそいつもより響いた「音」、試合直後に選手の肉声を聞くミックスゾーン、これまで接したことのなかった競技の魅力、メダルに届かなかった敗者の表情。無観客のスタンドから感じたことを記事にし続けた。

毎日、都内にある自宅に帰り、翌日またマスクを着けて出かける。乗り慣れたJRや私鉄、地下鉄に乗り、バスやタクシーも使って会場に向かった。

この間、都内の感染者数は急激に増え続けた。開会式の7月23日は1日当たり1359人だったが、8月5日には5042人と、4倍近くに。取材を終えて外に出ると、午後8時以降はほとんど飲食店が開いていない、「コロナ禍の日常」が広がっていた。

そんな中でも、無観客とはいえ、一歩会場に足を踏み入れれば、そこは「非日常の空間」だった。

4年に1度、この瞬間のために全てをささげてきた選手の表情を見るたび、こちらの身も引き締まるような気持ちになった。

本来なら東京は世界各地から訪れた人々であふれ、祝祭の雰囲気に包まれていたはずだった。それが1年の延期と無観客開催により、国や都に多額の追加負担が発生するのは必至の情勢。ワクチンの接種は思うように進まず、感染者が減る兆しも見えない。一部で五輪に冷ややかな視線が浴びせられたのも、無理はない。

それでも、「日常と非日常」を行き来してきた経験から考えると、東京にとって今回の五輪は、プラスマイナスでいえばプラスだったのではないか。

笑顔で東京音頭

コロナ禍は、世界中の誰もが直面している問題だ。苦しさ、難しさを皆が知っているからこそ、最後まで五輪をやり抜いた東京に感銘を受けたのではないか。閉会式で東京音頭を踊る海外選手の笑顔を見て、そんな感慨を覚えた。

24日から始まるパラリンピックを有観客とするのは難しいだろう。パラリンピアンの中には健常者より重症化リスクが高い人もいる。より一層の感染防止対策が求められるのは必至だ。

それでも思う。もうひと踏ん張り、パラリンピックまでを完遂できたなら、東京は世界に類を見ない挑戦を成し遂げた都市として、歴史に名を残すことになると。(原川真太郎)

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