勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(286)

幻のプレーオフ 3年連続で実施されず消滅

「プレーオフ」を協議するパ理事会=昭和57年12月
「プレーオフ」を協議するパ理事会=昭和57年12月

■勇者の物語(285)

理事会で「1シーズン制」復帰を採択し、オーナー懇談会に決定を委ねる。実は昭和50年にも同じことがあった。このときは「2シーズン制」がスタートしてまだ3年。生みの親である近鉄の佐伯オーナーがまとめ役となり、多数派の賛成派を抑え込んで2シーズン制の「続行」を決定した。だが、今回は―。

「今回は多数派も少数派も相互理解を深めている。各理事の努力によって、ひっくり返らないよう、事を運んでもらいたい」と塩見理事長(南海)は各理事に念を押していた。その甲斐あってか、11月24日のパ・リーグのオーナー懇談会では、全員一致で理事会の決議を支持。南海の川勝オーナーが会見に臨んだ。

「われわれオーナー懇談会は理事会の決めた1シーズン制への復帰を承認しました。ただし、パ・リーグの〝目玉商品〟であるプレーオフを存続させるのが条件です」

記者団に大きなどよめきが起こった。1シーズン制に戻して、どうやってプレーオフを行うのか…。1位と2位の決戦? それでは長く苦しいペナントレースを勝ち抜いた1位の意味がなくなりはしないか…。理事会も即座に試案を話し合った。①通算1、2位②1位と前半(65試合)1位③1位と後半1位④前後半の1位⑤東西決戦などなど。そして、多くの案の中から「変則プレーオフ」が決定した。

通算1位と2位チームの差が「5ゲーム以内」であれば、最高5試合のプレーオフを行う―というもの。ただし、あらためて5試合を戦うのではなく、あくまで〝追加試合〟。例えば1位チームが第1戦を勝利し、その通算成績(勝率)が、残り4試合を2位チームが全勝した場合の通算成績より上回っていれば、その時点で1位チームの「優勝」となる。

だが、現実はそう思惑通りには運ばなかった。

58年①西武(17差)②阪急

59年①阪急(8・5差)②ロッテ

60年①西武(15差)②ロッテ

3年連続で5ゲーム差以上となり、60年オフ、パ・リーグは変則プレーオフの廃止を決定。〝幻のプレーオフ〟となった。すると翌61年には西武が2位近鉄に2・5ゲーム差で優勝。やることなすことがテレコに…。パ・リーグの苦悩の時代である。(敬称略)

■勇者の物語(287)