勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(285)

1季制復活 パ・オーナー懇に決定託す

「1シーズン制」復活に反対した近鉄・佐伯オーナー
「1シーズン制」復活に反対した近鉄・佐伯オーナー

昭和57年オフ、パ・リーグが大きく揺れた。これまでの前後期制(2シーズン制)をやめ「1シーズン制」への復帰を決めたのである。

48年から始まった「2シーズン制」は当時、阪急が強すぎてペナントレースの興味が薄れ、ジリ貧となった観客動員の打開策として導入された。

初めは物珍しさもあって観客動員数は伸びた。51、53年には阪急が前後期を制覇し、目玉のプレーオフが行われなかったものの、パ・リーグ各球団の営業サイドも懸命に努力した。54年には初めて500万人を突破し、翌55年には579万人を記録。だが、その年をピークに下降線を描き、この57年シーズンは5年ぶりにパ・リーグチーム(西武)が「日本一」に輝いたにもかかわらず、観客動員数は前年比でマイナス13%の481万人―と落ち込んだのである。

1シーズン制への〝旗頭〟は阪急。上田監督は「ウチはずっと1シーズン制を支持してきた。ペナントレースの戦い方、若手の育成など1シーズンの方がメリットがある」と主張した。一方、反対派の筆頭は近鉄。「2シーズン制」の〝生みの親〟といわれた佐伯オーナーはこう力説した。

「2シーズン制はすでにファンに定着している。セの観客動員に対抗するには、セにはない〝目玉商品〟が必要。祭りは何度あってもいいし、試験は2度あれば通るチャンスも多い。いったい1シーズン制に戻して観客が増えるのか?」

そこが一番の大きな問題だった。これまで幾度か議論となりながらも、最終的に「1シーズン制」に踏み切れなかったのは、どの球団も「増える」と言い切れなかったから。

近鉄とのプレーオフ第4戦、同点で迎えた九回表に右翼ポール直撃の決勝本塁打を放ち、チームメートに迎えられる阪急・福本選手(右から2人目)=昭和50年10月、藤井寺球場
近鉄とのプレーオフ第4戦、同点で迎えた九回表に右翼ポール直撃の決勝本塁打を放ち、チームメートに迎えられる阪急・福本選手(右から2人目)=昭和50年10月、藤井寺球場

11月5日、東京・銀座のコミッショナー事務局分室で各球団の代表が集結、パ・リーグの理事会が行われた。賛成派は阪急、西武、南海、ロッテ。反対派は近鉄と日本ハム。佐伯オーナーは出席した山崎代表に「この問題はリーグの存亡がかかっている。多数決できめてはならない。全会一致を主張しなさい」と指示していた。だが…。

会議は決選投票の形がとられた。4対2で「1シーズン制」の勝利。理事会は最終決定を24日のパ・リーグオーナー懇談会に託したのである。(敬称略)