直木賞に決まって

己の小ささ忘れまい 澤田瞳子さん

第165回直木賞に選ばれ、会見に応じる澤田瞳子さん(日本文学振興会提供)
第165回直木賞に選ばれ、会見に応じる澤田瞳子さん(日本文学振興会提供)

ひどい忘れ物をした。

拙著『星落ちて、なお』が第165回直木賞に決定し、担当編集者さんと駆け付けた記者会見場。テレビやネット中継まで入っている会見に臨む直前、担当さんから「ジャケットは?」と聞かれてはたと、ラフな半袖シャツとユニクロのホワイトジーンズという砕け過ぎた己の身形に気づいた。そう、私は上着を持ってくるべきだったのだ。

まともなスーツに最後に袖を通したのは、歴史系学会によく出席していた二十代の頃。着るものに無頓着な日々のつけが、意外な場で露呈した。

「記者会見で半袖はまずいでしょう。身長が同じぐらいですから、わたしのを着てください」

そう仰る編集者さんからジャケットを拝借し、まさかの借り着で直木賞記者会見という小説家一世一代の晴れ舞台に臨んだ。これが誰かの小説だったなら、「そんな間抜けな作家がいるか」とツッコむところだが、事実は時に小説より奇なのだからしかたがない。が、人さまのお世話になることはそれからも更に続いた。

かつて直木賞決定の夜は、祝賀会と称して関係者と飲み明かすものと決まっていたという。とはいえなにせこのご時世、酒はもちろん、大勢での食事すら避けるべきである。ならば、何かを買ってホテルの部屋で一人食べようにも、哀しいかな東京の地理に暗い関西育ち。周辺の地理がよく分からない。

結局担当編集者さんがコンビニに走り、夕食と翌日の朝食を買ってきてくださった。夕食はゴマダレ冷麺。朝食は海苔巻(のりま)き。下戸なので、祝杯を挙げられないのは気にならない。受賞の事実をまだ受け止めきれないまま、宿で一人、黙々と平らげた。

明けて、翌日。諸手続きのために連れ出されてバタバタしていると、担当さんが今度は某シアトル系コーヒー店の紙袋を提げてやってきた。

「お昼ご飯です」

食べに出る時間がないのは、しかたがない。しかしこれではほとんど、親鳥に餌を運んでもらうひな鳥である。結局、帰りの新幹線車中で食べるドーナツまでいただいて東京を離れながら、自分でできることの少なさと、伴走くださる方々のありがたさを噛(か)みしめた。

小説は一人でも書ける。だが、書籍は小説家一人で完成するものではない。たとえば書籍のカバーや表紙、帯といった目に見えるデザインはプロの装丁家さんのお仕事であるし、本文の誤字脱字やレイアウトを確認してくださるのは校閲者さん。編集者さんはまだ物語が生まれる前から小説家と打ち合わせを重ね、書籍刊行後もあれこれサポートしてくださる。本を刷る印刷会社さん、どのように本を売るかのプロである営業さん、そしてなにより読者さんに本をお届け下さる書店さん。多くの専門家の存在あればこそ、小説家は小説家たりえるのだ。

なるほど直木賞受賞は小説家にとって晴れの場だ。とはいえその中で自分が出来ることなぞ、極めて限られている。これからもいい作品を書き続けていくためにも、己の小ささを決して忘れまいと思いながらかじったドーナツは、ほんの少しだけ硬かった。(寄稿)

さわだ・とうこ 昭和52年、京都市生まれ。同志社大学大学院博士課程前期修了。平成22年、『孤鷹の天』でデビュー。同作で中山義秀文学賞。『満つる月の如し 仏師・定朝』で新田次郎文学賞。今年7月、『星落ちて、なお』で、第165回直木賞。『若冲(じゃくちゅう)』『火定(かじょう)』『落花』『能楽ものがたり 稚児桜』など。

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