【話の肖像画】評論家・石平(59)(9)批判するために解禁された「水滸伝」 - 産経ニュース

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話の肖像画

評論家・石平(59)(9)批判するために解禁された「水滸伝」

共産党の少年組織「紅小兵」になって。当時は毛主席の小戦士だった
共産党の少年組織「紅小兵」になって。当時は毛主席の小戦士だった

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《両親が「下放(かほう)」されて8年後の1974年、田舎の祖父母の家から、四川省の省都・成都市へ戻ることに。両親が大学教員に復帰し、ともに暮らすことが可能になったからだ》

両親はそれより前に、大学の以前の職場に復帰することができました。それというのも、文化大革命(文革)で閉鎖されていた各大学が再開されたからです。さらに「工農兵学員」という、優秀な労働者や農民、軍人らが無試験で大学へ入学できる制度ができ、一斉に彼らが入ってきたので、教える教員が足りなくなったためです。実は、習近平国家主席も、この制度を使って無試験で清華(せいか)大学に入りました。

4歳で両親と離れ離れになった僕としては、事実上、初めて両親と一緒に暮らすことになったのです。大学構内にある住居は、集団住宅の一室しかない狭い所でした。煮炊きは七輪のようなものと練炭でやるのですが、台所がないので廊下でやる。食事時には、皆が一斉にやるので、煮炊きの臭いと練炭の煙がもうもうと立ち込める。トイレは外の共同。風呂なんてなく、大学内のシャワーをときどき使うくらいです。

都市部は、ほとんどすべてが配給制で、食料事情が極めて悪かった。たとえば、豚肉の配給は1カ月あたり、1人0・5キログラムだけ。肉なんてめったに口にすることができないのです。家は狭くて窮屈だし、田舎のように野原で遊び回ることもできません。食べるものも少ない。僕としては、田舎の暮らしの方がずっと楽しかったですね。

《成都で、中学校(日本の高校も含む)の5年間を過ごした》

中国の大学というのは、今もそうですが、その中で衣・食・住が完結できている。住居から医療、郵便局、食堂…何でも中にそろっているわけです。

当時の中学生の娯楽ですか? 何もないですよ。せいぜい閉鎖されていた大学の図書館内で合戦ごっこをやったくらい。

映画は決まったもの(見ることが許されたもの)が10本くらいありましたね。2本は旧ソ連のレーニンによるロシア革命の映画。中国共産党の革命にまつわるものが2、3本。そうそう、毛沢東夫人になった女優出身の江青(こう・せい)が共産革命を京劇(中国の古典演劇)にして映画に撮ったものがありました。

それを繰り返し繰り返し見るだけだから、もう内容をすっかり覚えてしまっている。シーンが始まる前に分かっているので、面白くも何ともない。

映画の上映会があるときは、農村なら人民公社の広場、僕たちは大学のグラウンドに、それぞれが長いすを持ち込んで露天でやりました。

《文革中は禁止されていた中国古典の名作「水滸伝(すいこでん)」が、あるとき、突然に〝解禁〟となった》

それは、毛沢東が「人民は水滸伝を読んで批判せよ」と号令を掛けたからですよ。そうなると、批判のために読まないといけないでしょ(苦笑)。

全国で一斉に水滸伝が再び、刊行されたのです。青少年向けには「小人書」と呼ばれる児童書みたいな本が出た。とにかく、すごく面白かったことを覚えています。

あれが、毛沢東時代の〝最後の楽しみ〟だったかなぁ。(聞き手 喜多由浩)

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