日曜に書く

論説委員・別府育郎 すべての人に幸が届いた

東京五輪開会式で国立競技場から打ち上がる花火を撮影する人々=7月23日午後8時4分、東京都渋谷区
東京五輪開会式で国立競技場から打ち上がる花火を撮影する人々=7月23日午後8時4分、東京都渋谷区

始まるまでは本当に長かったが、早いもので東京五輪はもう最終日だ。

開会式に「令和の東京五輪と、参加する全ての選手に幸あれ」と書いた。だが大会を通してみれば、幸をもらったのはわれわれの方である。やはり五輪を、やってよかった。

社会を覆う悪意の病巣

「やっぱりこれをやってよかった。これをやらなかったら日本人は病気になる」。57年前の東京五輪開催時に、三島由紀夫は毎日新聞に、そう書いた。

作家の言葉は時を超え、今の状況にもふさわしい。日本の社会は病気になりかけていた。

東京五輪は、新型コロナウイルスの感染が拡大する中で開催された。置き換わりが進むデルタ株の猛威に、医療の逼迫(ひっぱく)を心配する声があがることは当然である。だがこれと同等、いやそれ以上に深刻と思えた病巣は、コロナ禍への真摯(しんし)な懸念に乗じる形で社会に蔓延(まんえん)した悪意であり、敵意だった。そしてその矛先は五輪やスポーツそのものに向けられ、ついには選手個人も対象となった。

五輪について「できないではなくて、どうしたらできるかを皆で考えてほしい」と話した体操の内村航平には「選手のエゴだ」と批判が殺到した。

厳しい闘病と過酷なリハビリで白血病から復帰した池江璃花子は、自力でつかんだ奇跡の五輪切符を返上するよう求められて心が苦しくなった。

選手らは、やがて沈黙した。競技会の度に「コロナ禍における大会の意義」について質問が飛び、答えに窮した。それでも意を決して五輪への希望を語る選手や関係者は、次の新たな標的となった。五輪へは、どんな罵詈(ばり)雑言も許される。そんな空気が社会を覆った。

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